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【二人の名探偵と衝撃のラスト】麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』 レビュー/後半でネタバレ

 

翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件 (講談社文庫)

翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件 (講談社文庫)

 
新装版 翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件 (講談社ノベルス)

新装版 翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件 (講談社ノベルス)

 

 

 

目次

 


翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件

首なし死体、密室、蘇る死者、見立て殺人……。京都近郊に建つヨーロッパ中世の古城と見粉うばかりの館・蒼鴉城を「私」が訪れた時、惨劇はすでに始まっていた。2人の名探偵の火花散る対決の行方は。そして迎える壮絶な結末。島田荘司綾辻行人法月綸太郎、三氏の圧倒的賛辞を受けた著者のデビュー作。


レビュー


先に述べておくと、この小説は基本的にミステリ慣れしている、特に本格と呼ばれるある形式に則った探偵小説世界に慣れ親しんでいる人向けのミステリであると言えるだろう。

というのもこれを書いておかないと賛否両論がとにかく激しいこの作品の理解は正しくなされないからである。

 まあ難しいことは抜きにして、とにかくこの小説は常識やお約束を破壊する作者である麻耶雄嵩のデビュー作なのだということ。これに尽きるでしょう。

そしてその常識やお約束は、「新本格の世界」「探偵小説のある意味現実味のない世界」「探偵の決定が最上位に来るミステリ世界」の常識やお約束なのであって当然ミステリ慣れしていなければこれは気づかない。

気づかなければただ荒唐無稽なことを真面目にやろうとして失敗した下手な作品に見えるかもしれない。よって、賛否が激しく分かれるというわけだと僕は思っている。
麻耶雄嵩の作風については以下の記事を先に読んでいただくと理解の助けになるかもしれない。

x0raki.hatenablog.com

 このミステリはアンチミステリ、メタミステリと呼ばれるジャンルに属しているので、それを解った上で読むととにかく面白い。

まあ理解の上でそれでも嫌いな人は多分バカミス要素がダメなのかな。
ただこの小説が好きな僕も、この小説を大嫌いだという気持ちが起こるメカニズムは解らないでもないので(書いていて笑ってしまう事実だけれど)別に僕は「麻耶雄嵩を面白いと思わないのはおかしい」というような極論を支持しているわけじゃないです(笑)
むしろ「ああ、こっちの世界に妙に惚れ込んでしまわずに済むのはいいことかもしれない」と思わないでもないのだけれどね。
麻耶雄嵩が好きってだいぶこじらせてると思うので(笑)

ただ僕にとっては一番好きな作家と言ってもいいくらいなのでやはりこのレビューで未読の読書家を減らせたら嬉しいけれどね。



さて本題。
まず幾つかこの作品の特徴を挙げたい。


まず探偵が非常に面白い。
シリーズを代表する二名の名探偵が登場する本作(メルカトル鮎シリーズ・木更津悠也シリーズの1作目に当たるが、『痾』『木製の王子』より前ならどのタイミングで読んでも多分平気)。
木更津悠也は名探偵として非常にイメージの持ちやすいキャラクター。ワトソン役の香月実朝も外せない名キャラ。
そして二人目の名探偵であるメルカトル鮎。後の作品では「銘探偵」と名乗っているけれどまあ本作ではまだ名探偵。
このメルカトル鮎、名前がまずおかしいけれど、性格はもっとおかしい。こんな名探偵はまず見たことがないし、こいつを読むために本作を買っても損はないくらい。
そして彼ら二人の推理合戦、衝撃の推理、衝撃のラスト……
作者本人が「伏流として誰が主導権を握るかというのがある」というようなことを仰っていた覚えがあるのでそこも注目したいテーマ。もちろん登場人物という点でもそうだしもっと広義の意味でも……

そしてそして実はこの二人……名探偵だけど……
この先は言えない……
さあみんな読もう……!w


さて、そんな衝撃の本作だが、この小説はこれでもかというくらいに本格推理小説の舞台装置やお約束、あるあるのようなものを散りばめた作品になっている。
これはこの作品に連なる各シリーズにも共通するポイントかもしれない。
とにかく本格によくある要素が多く出てきて読んでいて飽きが来ない。

この理由は単純に麻耶雄嵩の作風なのかもしれないが、そもそもこの作品のベースはほぼ間違いなく小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』だと思われるので、探偵小説アイテムの多用は『黒死館殺人事件』の特徴をそのまま適用していると見ても間違いではないと思う(ネタバレのところでも述べるけれど、実は『虚無への供物』にも同じくらいベースとなる部分を感じる。それは『虚無への供物』自体が『黒死館殺人事件』から多少の影響を受けているからではないかと思う)。
また『黒死館殺人事件』自体もヴァン・ダインペダンティックな作風を参考にしているだろうと思われるので、この作品も当然ながらその辺りは受け継いでいる。

x0raki.hatenablog.com

 


黒死館殺人事件』は推理小説三大奇書や黒い水脈と呼ばれる作品群の本家大元だが、その特徴として衒学的でどこか不気味なおどろおどろしい雰囲気であることが言えると思う。


本作はその奇書の特徴である衒学趣味と不気味さ、暗さのようなものをうまくオマージュしている。
その点でいろいろと『黒死館殺人事件』の既読者をニヤリとさせる部分がある。
そこも特徴というか、見所の一つだろう。


一番のポイントは奇書に見られるアンチミステリ性を本作は多分に備えているということ。本格推理小説の舞台装置やお約束を散りばめた作品でありながら、それらに対してアンチミステリ、メタミステリと呼ばれるような試みをしているのが最大の特徴だろう。
前述のとおり本格世界、探偵小説世界である中で、そこに生じる問題提起を柔軟に受けて、世界や構図を破壊しているのが非常に面白い。


だが、非常に残念なのはそれらを説明するのはネタバレ無しではほぼ不可能なので、こればかりは読んでいただく他ない。


本作は島田荘司綾辻行人・法月倫太郎というそうそうたるメンバーに推薦を受けた作品で、しかもこの問題作とも言えるすさまじい内容でなんとデビュー作。
デビュー作でこんなイレギュラーをぶつけてこられたらもうその衝撃たるや(笑撃かもしれないが)……

アンチミステリ的な見方はこの作品に関わらず麻耶雄嵩を読むにはほぼ必須だが、それを抜きにしてもかなりショッキングな展開を見せるのは確かだろう。
慣れていないと唖然とするレベルと言ってもいい。
なんというか大地が崩れ去って宙に放り投げ出され、着地先の大地が着地と同時にまた崩れるというか、そういう感じ……


ただ衝撃と頭のおかしさで言えば、もっと凄いのは『夏と冬の奏鳴曲』という麻耶雄嵩の長編2作目の方なんだけどね。
あれはホントに……

夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)

夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)

 

 さてさて、いろいろ書いたけれど、本当にハマればこれほど面白い作家もまあ少ないので、このカルト的人気のあるクセのある作家の原点、デビュー作を手にとって見てはどうだろう。


この下のネタバレありでは、ちょっとした内容説明と感想を述べたいと思います。

 

翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件 (講談社文庫)

翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件 (講談社文庫)

 

 

 

ネタバレ


本作品は『黒死館殺人事件』を下敷きにしている部分があるが、稀に現代の『虚無への供物』というような紹介のされ方をする場合があったりする。
まあ数度しか見たことがないのでたぶんそこまで浸透したものではないでしょうけれど。

 

とは言えなぜそういう形容のされ方をするかというと、本作品の構成にその理由はある。


まず中井英夫の『虚無への供物』は推理小説の墓碑銘とも言われる。それは過剰とも言えるくらいの推理小説・探偵小説の要素を含むそのストーリー展開がいかにも集大成のようであり、アンチミステリとして推理小説そのものへの痛烈な皮肉が施されているからだろう。


この辺りの特徴は、思いの外『黒死館殺人事件』にも一致してくる。おそらく『虚無への供物』は『黒死館殺人事件』の影響を少々受けているのでそうなるのだと思う。『虚無への供物』に関しては単純に『黒死館殺人事件』だけの影響を受けて作られただけではないのは間違いないけれど。

 

……と、なれば。
同時にそれは『翼ある闇』にも投影されるわけだ。

さらに言えば構成を見ればむしろ『黒死館殺人事件』よりも『虚無への供物』に近い部分も多々ある。
幾つもの謎が提示され、それに対して複数人が推理を披露する、披露しながらも解決にはなかなか至らずその間にも事件が進行する。
その構成は『虚無への供物』を思わせなくもない。

このあたりの推理小説の遺伝子というか、ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』→小栗虫太郎黒死館殺人事件』→中井英夫『虚無への供物』→麻耶雄嵩『翼ある闇』という流れは面白いなと思う。


さて内容について。

本作品は「木更津悠也の第一の推理」メルカトル鮎の推理「木更津悠也の第二の推理」「香月実朝の推理」の4つの推理が披露される。
厳密にはおそらくメルカトルは推理というより答を知っていただろうし、香月もそのあたりは推理ではなく解決というべき状態だっただろう。

 

「木更津悠也の第一の推理」では既に死亡しているはずの多侍摩が犯人として挙げられるが、実は推理としてはかなりお粗末で初見だと「大丈夫かこの探偵」と思ってしまうかもしれない。まあこの人、結果だけ見るとポンコツ探偵だから大丈夫じゃないんだけれどね(笑)
でも木更津は結構好きなんだよな、僕は。
ここでの見所は推理を外して落胆する木更津が山篭りしてしまうところです(笑)

 

メルカトル鮎の推理」では、彼ならでは不可謬な決定が行われかけるが実は本作品では厳密にはいつものメルカトルのやり方とは違う。
いつもといってもメルカトルは本作が初登場なのであとからの分析を当てはめるとという意味だけれど。
今回の場合木更津悠也を犯人にする必要性があったため銘探偵としてのやり方とはやや異なるのだ。
しかし死んでしまうとは……
実は生きてたりしないかなぁ。
どこかの時系列からメルカトル鮎は〈彼〉とか〈彼〉とかが受け継いでいたりしないだろうか。

 

「木更津悠也の第二の推理」は非常に楽しめます。
ここで本書を壁にぶん投げる人が半分、もう半分は次の香月でぶん投げるでしょう(笑)
それかここでこの作品を大好きになるでしょう。
首の切断からの接続というバカミス的大トリックは天文学的偶然に依拠する推理でやはり推理としてはダメだけれど、面白さは破壊力満点の爆発的なもので最大の見所といえる。
だがよく読むとなかなか推理自体は凝ったものになっていて、秀逸な部分も多い。例えば、エラリー・クイーンの「国名シリーズ」に見立てた殺人は気づきにくいし意外性があって面白い。
でも木更津さんこれに気づかないのっていろいろ探偵としてまずいんじゃ……

 

そして「香月実朝の推理」では怒涛のどんでん返しが待っている。
もはやミステリとしてこれを解いてやろうと意気込んでいた読者はその不可能性に腹を立ててしまうかもしれない。だが僕としては麻耶雄嵩はそういう読み方をするものではないと思う。そういう読み方自体がミステリのあるあるというか僕も他の作家さんの時はそういう読み方をすることが多いし、ある意味一つのスタンダードなのだ。それを瓦解させるのが麻耶雄嵩の面白いところだと思う。
だからここからはアナスタシア皇女が突然出てきたりしてもそれを楽しんだらいいのではないか。それが出来ないとゴミ箱に叩きつけることになるかもしれない(笑)
ただこちらも内容としては非常に秀逸な部分が多い。例えば霧絵が日本語をほとんど読めないという設定を活かした「国名シリーズ」の見立ての矛盾を突くのはかなりよく出来ていると思う。まあこれくらいは木更津でもいけたんじゃないかと思わないでもないんだけれどね。
今鏡絹代が倍近く歳の大きく離れた久保ひさに成りすまし、娘の椎月をひさの死体に偽装するという無茶にも程がある驚愕の事実が凄まじい。


結局、この物語において主導権を握る最大の力を持つ存在は、ヘイスティングス(ワトソン)である香月実朝であった。
これはアンチミステリとしても非常に面白い。


この香月実朝はメルカトル鮎こと龍樹頼家と双子のようなので、香月に関してはワトソンというよりは血筋的に銘探偵に近いのかもしれない。
とはいえ香月は以後の作品でもワトソン役、ホームズとワトソンに代表される探偵と助手の関係性が逆転する主客転倒のアンチミステリといえるだろう。

 

ちなみに、この世界の警察は探偵小説世界なのでまず科学捜査以前に探偵に従う傾向がある。なので驚くべきことに木更津のトンデモトリックを正式に採用している。もっというと科学調査でひさの死体が椎月であり、その裏で今鏡絹代が動いていたことも、そもそも犯行自体が無茶だが、もし行われていたなら突き止められたのではないか。まあその辺がこの小説の肝というか面白い魅力なので僕も粗探しをしているわけではないが、やはり皮肉めいていて面白い。


当然だが作者の麻耶雄嵩はそのあたりに適当なわけではなく、〈こんなこと〉は承知の上でのことだろう。そこがやはり最高に面白い。

 

 

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