【常人不在のペダントリー】小栗虫太郎『黒死館殺人事件』 レビュー/後半でネタバレ
目次
黒死館殺人事件
昭和初期の探偵小説ブームを作った作家、小栗虫太郎の長編小説。初出は「新青年」[1934(昭和9)年]。夢野久作「ドグラ・マグラ」、中井英夫「虚無への供物」と共に日本探偵小説史上の「三大奇書」と呼ばれる小栗の代表作。
豪壮を極めたケルト・ルネサンス様式の城館「黒死館」の当主降矢木算哲博士の自殺後、屋敷住人を血腥い連続殺人事件が襲う。奇々怪々な殺人事件の謎に、刑事弁護士・法水麟太郎がエンサイクロペディックな学識を駆使して挑む。江戸川乱歩も絶賛した本邦三大ミステリのひとつ、悪魔学と神秘科学の結晶した、めくるめく一大ペダントリー。
読了へ向けての難易度の高さ
さてさて、今年の一発目のレビューは言わずと知れた推理小説三大奇書の読了最難関作品『黒死館殺人事件』です。(今年一発目が今年度一発目と同時になってしまっている点には触れないでください……w)
『黒死館殺人事件』は、夢野久作の『ドグラ・マグラ』、中井英夫の『虚無への供物』と並んで、日本探偵小説の「三大奇書」に数えられている作品。夢野久作の『ドグラ・マグラ』は「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす」という紹介文で有名だがこれもまた非常に読破が困難な「読みにくい」小説の一つだ。だがこれは実は想像より遥かに読みやすく、一部の読みにくい箇所を超えればそう読破は困難ではない(実はその部分を超えるのが一番の難関なのだけれどw)。
だが今回紹介する『黒死館殺人事件』はその『ドグラ・マグラ』を凌駕する読みにくさだと僕は思っている。
(三大奇書についてはこちらの記事でも書いているので、興味のある方は是非↓)
この小説、いろいろと書きたいことはあるのだけれど、最初に伝えたいのはこの作品の「空前絶後の狂気」。これからとりあえずそれだけこの小説が凄まじいかを語ってみたい。
実は読んだのは丁度1年くらい前、確か大学の同級生とハワイに行った3月に飛行機で読んでいた覚えがあるので、正確には3月だったかなとは思うのだけれど、何しろこの作品は読むのに凄まじい体力と時間を要するからか、調べてみると僕は2月には読み始めていたらしい。
読み始めてまず思ったのが「あぁこれは多分三大奇書の中でも一番ヤバいやつだ」ということで(笑)、まず意志がなきゃ間違いなく読み終える前に挫折するのが判った。しかしそれでも僕がこれを読みたかったのは、三大奇書の読破には避けて通れないわけであるし、この作品がその後のミステリ史において影響を及ぼしていることを知っていたからだ。まずは必ず読み終えることを決めた。
次にどうしても読むのがキツくなってくるので、一日に読み進める最低量を決めた。当時のTwitterでは「一日30ページ読む」と呟かれており、今から思うとどんだけ読みたくなかったんだよと思わざるを得ない(笑)
自分の中で義務付けたわりにたった30ページがノルマって……
まあ厳密には読みたくなかった訳ではない。むしろ読みたかったし余りに魅力的だった。色んな意味で難解過ぎて読めないだけなのだ。
そう、決してつまらない訳ではない。非常に興味深い試みが成されているとは思う。まさにアンチミステリの王道を行くスタイルで、小説の質や面白さ、精巧さで他の奇書二作に劣っても、アンチミステリの定義としては間違いなくその範疇にあり、少なくとも『ドグラ・マグラ』よりアンチミステリとして成立していると思う。
魅力なのはアンチミステリとしてだけではないペダントリーと称されるその薀蓄の量も一周回って非常に興味深い。そして好きな人にはたまらないゴシック小説としての一面。
ただ、「アンチ読み物」と言えなくもないというか読ませることを拒否している書物というか……
いや、一応名作だしそんなことを言ってはいけない、レビューを続けよう!
ちなみに読みながらどんなことを思っていたのか当時のTwitterを幾つか引用してみたい。
そんな半分ネタみたいな困難さを持つこの作品であるが、前述の通り面白い点ももちろん多い。基本読むことさえできればワクワクする題材ではあるのだ。
魅力はいくつかあるのだけれど簡単に挙げてみるとこんな感じ。
・アンチミステリと言われる所以の主客転倒の本筋と薀蓄
・探偵の推理、犯人のトリックの衒学的過ぎる内容
・ゴシック趣味の雰囲気、館の装飾
・推理がトンデモ推理な点
・難解過ぎる探偵の説明に何故か難なく付いて行く助手と呼応して難解な犯行を行う犯人の妙
いわば真面目に面白い部分と「なんでだよw」とツッコミを入れる部分の両極端で贅沢な造りになっているわけで、その独特の雰囲気がこの作品の最大の魅力と言えると思う。
次章ではその辺りをもう少し詳しく解説します。
具体的な魅力
さて、そもそもこの小説、どんなストーリーなのか。あらすじにも書いてはいるけれど、ここで簡単に紹介したい。
基本的なストーリーラインは、探偵(刑事弁護士)の法水麟太郎が、黒死館の異名を持つ降矢木邸で起きる殺人事件を解決する、というもの。
これは構図としては探偵モノの推理小説の定番の枠組みにあって、非常にワクワクするところなのだけれど、実は前章の最後で述べた通り、その推理がかなりめちゃくちゃなものだったりする。なので本筋としては「そんな推理ありかよ!」とツッコミを入れていくのが本来のところのはずなのだけれど、そんなことは正直どうでもいい(笑)
というのも、多くの人はまずストーリーが頭に入らないはずなので推理の面では特に問題がないのだ。まずここで第一のアンチミステリ要素、推理がどうでもいい「探偵もの」というアンチミステリの構図がある。
実際、ここで仮に犯人の名前出してもそう困らないだろう。
さて、なぜストーリーや推理が頭に入ってこないのかというと前述のとおり難解な内容すぎるからというのが大きい。
意味の解らない符合や暗号から意味の解らないトリックを導き意味の解らない言葉で説明するというのがこの作品における文章の殆どで、これは「本筋と関係ないんじゃないか」というような判別不可の混乱が全体の殆どを占めている。
これがまた魅力でもあるのは否めないのだが、そもそもこの衒学的で凡人には解読不能なアカデミックな法水麟太郎の推理もとい「講義」が連続殺人事件という重大極まるリアルタイムで現在進行形の事件よりも「優先される」のだ。
もう普通に法水の講義が長すぎて次の殺人起きちゃってるじゃん!という本末転倒な状態なのだ。
これが第二のアンチミステリ要素、推理と薀蓄の主客転倒。推理よりも学術講義がメインになってしまっているわけである。
どれだけこれが読了において難易度を上げているか例を挙げてみよう。
(引用)
「実は、僕の恫※(「りっしんべん+曷」、第4水準2-12-59)訊問には、妙な言だが、一種の生理拷問とでも云うものが伴っている。それがあったので、初めてあんな素晴らしい効果が生れたのだよ。ところで、二世紀アリウス神学派の豪僧フィリレイウスは、こういう談法論を述べている。霊気(ニューマ)(呼吸の義)は呼気とともに体外に脱出するものなれば、その空虚を打て――と。また、比喩には隔絶したるものを択べ――と。まさに至言だよ。だから、僕が内惑星軌道半径をミリミクロン的な殺人事件に結び付けたというのも、究極のところは、共通した因数(ファクター)を容易に気づかれたくないからなんだ。そうじゃないか、エディントンの『空間・時・及び引力(スペース・タイム・エンド・グレヴィテイション)』でも読んだ日には、その中の数字に、てんで対称的な観念がなくなってしまう。それから、ビネーのような中期の生理的心理学者でさえも、肺臓が満ちた際の均衡と、その質量的な豊かさを述べている。無論あの場合僕は、まさに吸気を引こうとする際にのみ、激情的な言葉を符合させていったのだが、またそれと同時に、もしやと思った生理的な衝撃(ショック)も狙っていたのだ。それは、喉頭後筋※(「てへん+畜」、第3水準1-84-85)搦(ミュールマン)(ちくでき)という持続的な呼吸障害なんだよ。ミュールマンはそれを『老年の原因』の中で、筋質骨化に伴う衝動心理現象と説いている。勿論間歇性のものには違いないけれども、老齢者が息を吸い込む中途で調節を失うと、現に真斎で見るとおりの、無残な症状を発する場合があるのだ。だから、心理的にも器質的にも、僕は滅多に当らない、その二つの目を振り出したという訳なんだよ。とにかく、あんな間違いだらけの説なので、いっさい相手の思考を妨害しようとしたのと、もう一つは去勢術なんだ。あの蠣の殻を開いて、僕はぜひにも聴かねばならないものがあるからだよ。つまり、僕の権謀術策たるや、ある一つの行為の前提にすぎないのだがね」
「驚いたマキアベリーだ。しかし、そう云うのは?」と検事が勢い込んで訊ねると、法水は微かに笑った。
(引用終わり)
どうだろう、さっぱり意味がわからないと思う。これが全編にわたって継続的に書かれていると思ってもらって差し支えない。
というかこれはまだ優しい方なのだ。作中にはもっと解らない単語や難解なルビや意味の解らないトリックや聞いたこともない人名が登場する。
さあ、ここでちょっと注目してもらいたい。
最後のところなのだけれど、「検事が勢い込んで訊ねると」とある。この検事というのは法水の助手的立ち位置の人物だ。つまりワトソン役というわけである。
「驚いたマキアベリーだ」
うんうんわかるわかる、この説明聞いたら「驚いたマキアベリーだ」って思うよね…………いやねーよ!(笑)
そうなのだ、この助手役たち(助手役は二人いる)は普通にそこそこ解説で状況を理解し質問までするのだ!
いやあこれは「驚いたプロセクターだ」
この時代の検事はここまですごいのか、いやきっとこの『黒死館殺人事件』が尋常じゃないのだろう(笑)
作中にまともな人間はいない??
とまあ、登場人物にも随分突っ込みどころがあるわけだけれど、慣れてくるとこういう場面に結構出くわすので「あるある……いやねーよ!」みたいにうわ言を言いながら意識を朦朧とさせながら楽しく読むことができる。
『ドグラ・マグラ』よりよっぽど精神に異常をきたすんじゃないかと思うよ……
さて、ワトソン役の二人、支倉と熊城はそこそこ話に付いて行くのだけれど、他の登場人物は我々と同じようにポカンとしている訳なのだ、それでも構わずこの探偵は哲学、人類学、宗教、魔術、医学、薬学、物理学、神秘思想、占星術、紋章学、心理学と考え得るあらゆる学問の知識をひけらかす。
この探偵に唯一対抗しうるキャラクターが久我鎮子だ。彼女は法水並の知識を持っておりやはり衒学的に披露する。
なんということだろう、一人でもヤバイのにもう一人似たようなの出てきた(笑)
もう普通に法水が難解なトリックを解くということは犯人もまたその難解なトリックを理解して仕掛けているわけだから、実際の事件ならこの時点で久我鎮子が犯人なのは明確なのだけれど、この小説においてはその論理は存在しませんw
まあそれを言ったら他の登場人物も知らないふりをしているかもしれないし、ワトソン役だって怪しいし、むしろ犯人が私が犯人ですみたいな知識の披露の仕方をするだろうか、という点もある。
もう狂人だらけの世界だ。逆に誰が犯人なのかサッパリ判らない。
まとめ
そろそろネタバレ無しのまとめに移ろう。
アンチミステリという視点で四大奇書を見たとき、僕は個人的にはこんな風に位置づけている。
まあこれはおまけというか、それぞれの説明を事細かにし出すと四大奇書の記事になってしまうので、後でそれは詳しく別の記事にするとして、今回は『黒死館殺人事件』を反ミステリとしている論拠をメインでまとめとしたい。
元々アンチミステリとは非ミステリを指すと考えていいと思う。これは僕もそうしているように、一般的に『虚無への供物』のことをいう。
これは文字通り「ミステリに非ず」ということで、しかしアンチミステリというのは確かにミステリでもある。ミステリであるがミステリを否定しているのが面白いところだ。
『ドグラ・マグラ』に関しても同じで、これは一般的に超ミステリなどと呼ばれているわけではないが、僕は個人的に「ミステリを超えたミステリ」と解釈している。
では、『黒死館殺人事件』ではどうだろう。僕は前章までにも語っているとおり、これを「ミステリに反するミステリ」と思っている。
『虚無への供物』がミステリでありながらミステリを否定する面白さ、『ドグラ・マグラ』がミステリでありながらミステリを超えた面白さがあるとするならば、『黒死館殺人事件』にはミステリでありながらミステリに反する面白さがある。
具体的にはこうだ。
『黒死館殺人事件』には探偵が登場する定番のミステリだが、その探偵は事件よりも知識をひけらかすことを重視する。
『黒死館殺人事件』には推理のロジックが存在するミステリであるが、その推理は現実的でない知識や現象に依拠したり推理自体が間違っていたりする。
これは作品の破綻ではなくアンチミステリとしての面白さになってくる。作者は間違ってそう書いたのではなく本格ミステリにアンチミステリをぶつけたのだ。だから面白い。
それは時に衒学的で読みにくく理解し難いが、その構図こそが最大の魅力であり最大の試みであり最大の目論見であるといっていいだろう。
そして後にアンチミステリというジャンルが確立して、その源泉を辿ったとき、やはり元祖はこの作品を含む三大奇書に立ち返る。
未だにアンチミステリや奇書に連なる小説と呼ばれる推理小説たちには「衒学的であること」や「陰鬱さや不気味さを伴うこと」が共通点と挙げられることが多いし、それは暗黙のルールの一つでもあったりする。当然三大奇書はみなその要素を含むし、後に四大奇書として挙げられる『匣の中の失楽』も第五の奇書とも呼ばれる幾つかの小説たちもこの要素は押さえてきている。
だからこそこの『黒死館殺人事件』は『ドグラ・マグラ』や『虚無への供物』とともにミステリ史に名を残す重要な名作とされているし、後の作品に多大な影響力を持っている。
特に『黒死館殺人事件』は幾つかの作品の下敷きになっている。最も有名なのは麻耶雄嵩の『翼ある闇』かな。
他にもアンチミステリや三大奇書の系譜とも言える作品群たちには『黒死館殺人事件』の影響は大きい。
と、いう感じでとりあえずネタバレ無しの記事としてはこの辺りで終わっておきたい。
実はもう書くことはそんなにないのだが、実はこの作品、探偵がやってはマズいとある重要なタブーが描かれている小説でもある。
まあ今の時代探偵が平気で殺人をする時代なのでそんなに大袈裟なことではないんだけれど、ネタバレではあるのでこの下で少しだけ触れておきたい。
そんな掟破りな感のある『黒死館殺人事件』だが、是非とも他の奇書『ドグラ・マグラ』『虚無への供物』『匣の中の失楽』と併せて、一度は読んでおきたい名作なので、読みにくさやツッコミ所も含めておすすめしたい。ではネタバレ無しではこの辺で。
――閉幕(カーテンフォール)。
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ネタバレ
さてさて、この作品のネタバレで語るべきなのは、とりあえず3つほどだろう。
まずは犯人、本文でも書いたけど犯人は最初に明かされてもそんなに困らないんだが……
次にタブーについて。まあこれも一言で明瞭になることなんだけれど。
最後にこの作品の〆の言葉について。これも読めば判るんだけど……
うーん。この小説、訳がわからないのが最大の魅力みたいな小説だけれど、どういうわけか読了さえしてしまえば語るべきところは明瞭という。
まあいいか。
さあまず、犯人について。
犯人は最後に自殺する紙谷伸子。彼女は算哲の実子だったのだけれど、相続からも除外されていた。伸子は算哲を殺害、そして相続者を次々殺害していった。
彼女は最後にレヴェズに結婚を申し込まれるのだけれど、これがある意味自殺の原因。応じるならアレキサンドライト、断るならルビーの石のついた髪飾りをつける手筈が、アレクサンドライトが照明によってルビーに見えてしまい、両者の自殺の起因になってしまう。
ここでこの作品に起きているタブーについて。
最後の犯人の自殺なのだけれど、これは事故みたいなものではあるが、実は助ける方法はあった。
単純な話なんだけれど、探偵の法水がアリバイ証明しちゃったんだよね。まあ間違ってたんだけれど。
ほんとは逮捕されそうなタイミングがあったんだけれど、わざわざ妨害してしまった探偵というのがまずタブー。警察が誤認逮捕でも何でもいいから拘束してしまえば少なくとも死人を二人減らせた。
もちろんこんなことは予想できない話だし結果論の元も子もない話なので、ただの小ネタなんだけれど(笑)
メインのタブーはもっとシンプル。
実は探偵役の法水麟太郎、この作品で犯人突き止めてないです(笑)
なんということだろう、この人、凄い知識量を以てして、関係ないんじゃないかというくらい蘊蓄も披露して、犯人のトリックも次々看破していたようであったのに、結局最後にほぼ全滅して生き残りの証言で犯人発覚という失態を犯しているのである。
一応法水が犯人を指摘した体になっているけれど、よく読むとコイツ(もうコイツって言っちゃったよ)何もしてねえ……
しかも犯人にプロポーズしてる……
うわぁ……
という感じでもう犯人は法水でいいんじゃないだろうか
さて最後に!
ネタバレ無しの記事の最後に書いた言葉「閉幕(カーテンフォール)」、実は『黒死館殺人事件』の最後の締めの言葉なのだ。
なんでこれを最後に紹介したかというと、この締め方って後の作品に色々引用されてたりします。
三大奇書は後の作品に影響の強い作品達なのだけれど、引用となればこれが一番特徴的かな。
『黒死館殺人事件』のオマージュ作品で有名な作品に麻耶雄嵩の『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』があるけれど、麻耶雄嵩は長編で何回かこの締め使ってるから知ってる人にとってはちょっとにやけるところ。
さて、そんな感じでそろそろ『黒死館殺人事件』のレビューは終わりましょうか。
実はこれは前述の麻耶雄嵩作品のレビューの為に書いた記事みたいなものなので、これでいよいよ麻耶雄嵩作品紹介できるぞって感じです。
次回をお楽しみにーー閉幕。
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