哲学のプロムナード(ΦωΦ)黒猫堂

推理小説やSFのレビュー・書評・ネタバレ解説・考察などをやっています。時々創作小説の広報や近況報告もします。

麻耶雄嵩『メルカトル悪人狩り』 レビュー/後半でネタバレ

「誰かに命を狙われている」という有名作家の調査依頼から、夏の避暑地に招待された別荘で起きる殺人事件まで……。一気読み必至&裏切りたっぷりな意外な結末が待ち受ける傑作短編集! 麻耶ワールド全開の問題作!!

 

さて、お久しぶりです、らきむぼんです。

今日は麻耶雄嵩待望の新作、10年ぶりのメルカトルシリーズである短編集『メルカトル悪人狩り』をレビューします。

また、You Tubeにて動画での紹介と解説も行っています。

声での説明で大丈夫な方は長いですがブログよりも詳しく説明しています。


www.youtube.com


www.youtube.com


www.youtube.com

 

一通りネタバレ無しの感想を書いたら、警告後にネタバレありでレビューします。

 

【ネタバレなし】麻耶雄嵩『メルカトル悪人狩り』 レビュー

 

◇愛護精神

メフィスト』の1997年9月号掲載の短編。

長らく単著未収録で入手困難という焦らしを受けていたが、期待に見合う短編だった。

麻耶雄嵩はそこまでタイトルに凝っているイメージはなく、ストレートか逆にイマイチ意味がわからないみたいな題が多いのだが、これはまさにストレートな一作。

美袋の住むアパートで起きる不穏な出来事。大家の未亡人に絆されて断りきれずメルカトルに依頼を持ち込む美袋だが・・・・・・。

一話としては非常に解りやすい。悪人狩りのコンセプトを知った上で読むと、どうしても『囁くもの』がその最たるものであると言えるのだが、悪人狩りの企画が始まる前に書かれたであろうこの作品も第一話としては悪くない。

メルカトル短編としてはスタンダードだが、だからこそ美袋とメルカトルの関係性や、メルカトルの一種の不気味さとミステリアスさが伝わって良い塩梅となっている。

 

◇水曜日と金曜日が嫌い

新本格30周年記念アンソロジー『7人の名探偵』に納められた作品が単著にて再収録。

元々のアンソロの方では仰々しいサブタイトルがついていたのをよく覚えている。「大鏡家殺人事件」だ。今回、このサブタイトルは綺麗に消滅した。そして同時に大鏡という名前だった登場人物は大栗という名に改められている。この意図するところは、大鏡がまずかったということだと思う。

これは実は数年僕の悩むところではあった。というのも、麻耶ファンならば誰もが思うことだが、大鏡という人名は麻耶作品に既に登場しているからだ。

過去、静馬という人物が『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』と『隻眼の少女』に登場し、麻耶ファンはこれが意図的なのか偶然なのかで頭を悩ませることとなった。結論からすると、未だこの謎は解けていないが、後者の作品の性質上、おそらく偶然であると判断している読者が多いように思う。もっと言えば、シンプルにシリーズが違うのが大きい。

だが今回はそうはいかない。メルカトルが登場するシリーズ内では四鏡と呼ばれる歴史書を元ネタとしていると思われるキャラクターが登場する。『翼ある闇』に今鏡、『夏と冬の奏鳴曲』に水鏡、『鴉』に大鏡だ。つまり、大鏡が二度登場している。これが意図的なのか作者が忘れたかが判らなかった。

ましてや、この短編の趣旨は、明らかに小栗虫太郎による三大奇書の一角『黒死館殺人事件』のオマージュだ。そして、この黒死館的な舞台は『翼ある闇』でもモチーフとして使われている。これで大鏡ではなく今鏡だったら、なんらかの意図があると言っていいと思うが、使われたのは大鏡。はて、どうしたものか。と、悩んでいたわけだ。

ところが今回、あっさりと「大鏡」が「大栗」に変更になったおかげで、この辺りは考慮せずに済む。元ネタが「小栗」虫太郎なのだからなおさら都合が良いではないか。これだけでもこの短編集の価値は高い! ・・・・・・麻耶フリークってめんどくさいね(笑)

さて、作品としては非常に面白い。前述の通り『黒死館殺人事件』のような舞台というのは『翼ある闇』でも扱われたが、この時はたっぷり文庫450ページを使っている。それだけの舞台に、本気のメルカトルを投入したらどれだけ短縮してしまうのか。いわば、これはデビュー作のifルートだ。まさしく30周年にふさわしい内容と言えるだろう。


◇不要不急

ウェブ上の企画『Day to Day』より。あまりに短いショートショートだが、これは第二話の後日談である。ここでもしっかり美袋が酷い目にあっているのがもはや芸術的だ。この世界での探偵業について少し垣間見えるところがある。


◇名探偵の自筆調書

初出は『IN★POCKET』の1997年8月号。単著未収録作品の筆頭で、美袋三条が書いたという体になっているショートショートである。リアルタイムで読めなかった一部の麻耶ファンは国会図書館で読んでいたのだが、この度無事に収録された。

内容はメルカトルが美袋に「どうすれば完全犯罪は成立するのか」を講義するもの。ただそれだけの極々短い小説だが、これが何を意味する作品なのかを考えたとき、ただの掌編ではないような、そんな気もしてくる。


◇囁くもの

初出は『メフィスト』の2011 VOL.3と古い。二話が発表されない伝説のシリーズと化していた時代、当時のメフィストのバックナンバーを入手すれば唯一読めた第一話がこの短編だ。これがこうやって一冊の作品に収録されるまでに、ファンが第二話を想像してアンソロ作品を組んだりしているくらい、この第一話からは期待(と闇と執念)が生み出されたと言って良いだろう(笑)

後味が独特で忘れられがちだが、今回の短編集の中でも随一の、切れ味抜群のロジックが堪能できるのもこの作品の良いところだ。

内容は元々第一話なだけあって非常にわかりやすくこの短編集のコンセプトを伝えている。いつもと様子の異なるメルカトルに戸惑う美袋、しかし彼の行為の意味はある疑念へと繋がり・・・・・・

人狩りシリーズの雛形であり、最もストレートにコンセプトを伝えるこの作品は、時を超えて今メルカトルのステージを一つ上げることになる。

 

◇メルカトル・ナイト

2019年のメフィスト次回予告にこのタイトルが載っていた時は、Twitterのタイムラインが湧いたのを覚えている。この時はまだ多くの人が悪人狩りを想起しておらず、単にメルカトルシリーズの新作短編が読めるということだけで盛り上がっていた。思えば、ここが悪人狩りの再出発地点だったと言えるだろう。

タイトルの面白さと、それがどういった形で伏線として回収されるかが一つの見どころだが、奇妙な謎に対しての相変わらず不可解なメルカトルの言動にも注目したい。

このシリーズのコンセプトは「囁き」。メルカトルの行動には何やら邪悪な意図があるに違いない。そんな読者の視線を見事にやり込める展開は今回随一の面白さだと思う。

 

◇天女五衰

天女伝説の残る舞台で、まさに天女がロジックに絡み見事に事件を形作っている。短編として非常に造りが細かく、一見地味ながらも面白い一編であるように思う。

余談だが、今回の舞台設定の一つである「羽衣伝説」の要素は僕の学生時代の専門領域の一つで、非常に楽しかった。いわゆる異類婚姻譚という物語類型の一つだ。ある種では、貴種流離譚の亜種とも取れなくもない。

しかしそこに捻りを加えてオリジナリティを出し、そこが麻耶雄嵩特有の鋭いロジックに組み込まれていくのが実に見事な一作だ。

事あるごとにメルカトルからいじめられる美袋もいつにも増して、という感じで面白い。

メルカトルがあまりに絶好調で、このシリーズでは様子がおかしかった彼も調子を取り戻したのではと思ってしまう。

しかしきちんと今回もコンセプトは忘れていない。元々、『囁くもの』が念頭にあった僕のような読者は、『メルカトル・ナイト』の発表以来予感めいたものを感じていて、この『天女五衰』を読んで悪人狩りシリーズの復活を確信したものだ。


◇メルカトル式捜査法

「調子の悪いメルカトル」というそれだけで面白い状況から始まるこの短編。ただ面白いだけでなく、それがとんでもない結末へ走り出していく。普通の作家の普通のミステリとしてはやってはいけないラインを軽々超えた感はある。これは麻耶雄嵩だから許されるし、メルカトルシリーズだからあり得ない話ではないと納得できる作品だろう。

だが、実は深く読んでいくとこれはそんなメルカトルならではの「悪人狩りシリーズ」の中でも、他の作品とは全く異質の際立った短編だ。

これを最初に読んだのは雑誌掲載の時だったが、あまりに素晴らしくて久しぶりに唖然とした。Twitterのミステリ仲間たちはそもそもメルカトルシリーズがこんなに連発で発表されて段々とメンタルがおかしくなっていったのだが、それに加えてこの衝撃の短編がきた上に、誌上で『メルカトル悪人狩り』の発売が宣言されたのでほとんど発狂状態だった。

そしてそんな嬉しいニュースで舞い上がっていたので実はそこまで感想がなかったような気もするが、実は誌上での宣言を必要とするまでもなくこの作品が悪人狩りシリーズの最終作であることは判る。

メルカトルへの「囁き」から始まるこのシリーズは、メルカトル自身の「銘探偵」への定義を以て、華麗に終幕するのだ。


◇まとめ

「形なし」ではなく「型破り」であるのが麻耶雄嵩作品であると思う。

本格ミステリを知るからこそ、その型を破壊することができる。そういった目で見ていくと、シリーズ前作の『メルカトルかく語りき』はかなり異質な作品であり、おそらく究極に本格の型を破壊し、ミステリの構造への問題提起と解答を行なったシリーズであると思う。

前作がメルカトルが銘探偵であり銘探偵は「無謬」であるということを示したシリーズであったとすれば、今回はその「銘探偵の無謬性」は「どこから」来るのか? というより根源に近いところまで掘り進めたシリーズと言えるかもしれない。

したがって、テーマは前作で観念的になったし、今回はさらに観念的だ。一見して地味にも見えるし、前作ほどの衝撃はないかもしれない。しかし、より根本的なメルカトル鮎の在り方が語られ、銘探偵の意味が語られ、そして随所に過去30年の歴史を垣間見る表現やエピソードが差し込まれているのを見れば本作の見方は変わるだろう。

本作が麻耶雄嵩初心者向け(ミステリ初心者向けとは流石に言えないが)とも言えるほどにライトで解りやすいものになっているのも、どこか総まとめの感がある。もちろん、本格の構造や問題提起が大好きで麻耶雄嵩作品を追っている人ならもっと根源的なミステリのコアの部分に思いを馳せて楽しむこともできるだろう。

このシリーズが前作と今作でかなり究極的な位置まで到達してしまっていることを考えると、コンセプトシリーズとしてのメルカトルシリーズも終わりが近いのかなと思わないでもないのだが、是非是非さらにミステリの型と戦ってほしいところである。

さて、この下からは【ネタバレあり】となるので、ご注意ください。

 

 

【ネタバレあり】麻耶雄嵩『メルカトル悪人狩り』感想


◇愛護精神

冒頭が非常に印象的な一編であると、振り返れば思う。「琢磨を埋めてるんです」から始まるこの物語は、一瞬で死体を埋めている場面を読者に想起させ、どことなく不穏な感じを覚えさせる。なぜなら、これが犬の名前であることはこのあとしばらく伏せられるからだ。

もちろん、人前で会話をしながら人間の死体を埋めるわけはないのだから、これが犬とは限らずとも、ペットの死体であることは十分にわかる。

だが、ミステリファンなら逆にこうも考えるだろう。「これって実は本当にヒトだったりしない?」と。そして、真相は本当にヒトだったわけではないが、ヒトを埋める穴ではあったというのがまたなんとも計算されている気がする。犬の名前を人間に使う名前にする必然性なんてない訳なのだから。

そんな、夏と死体という実はホラー染みた雰囲気としては相性がいい組み合わせのワードが脳内に仄かに残りながら読み進めるものだから、どこか怪しい雰囲気の未亡人も、彼女に惹かれているように思われる青年も、後ろ暗い何かを持っているように見えてしまう。

そう思うと、一度はあっさりと断ったメルカトルがなぜかわざわざ出向いて犯人の指摘だけをしていくのも邪悪な意図があるように見えてくる。その全貌は読者にも明かされない。


◇水曜日と金曜日が嫌い

ネタバレありでのみ語れる面白さが多いのがこの一編だろう。

まず、相変わらず美女に心動かされ酷い目に遭うという美袋登場の型もさることながら、今回はその美袋が遭難レベルのボロボロの状態で語り始めるのが面白い。その発端というかきっかけがきっちりメルカトルからの着信なのもあまりにもかわいそうだ。その着信音が「魔王」であるのも重ねて面白過ぎる。

登場する四人の養子についての設定は黒死館オマージュが色濃い。これだけの大舞台ならば長編に使えるだろうという積み重ね方をしておいて、あっさりと解決してしまうのがメルカトルのすごいところだろう。

そして、最後の一行はあまりに衝撃的で笑わずにはいられない。美袋があまりに不幸であるし、そもそもこれを伝えるのがメルカトルなのももはや作為的だ。

メルカトルが美袋のアパートの全焼を本人より先に知っているのも不自然だし、忘れていたのも嘘だろう。「てっきり家の一つでも燃やすのかと」という美袋の発言に「なんだ、がっかりしたのかい」と皮肉めいた笑みを浮かべているシーンがあるのがまた怪しい。

そしてこれは深読みかもしれないが、一話目の犯人が美袋のアパートに放火したとしたらどうだろう。そしてそれはメルカトルになんらかのメリットを与えることになる。だからメルカトルは美袋よりも先にアパートの全焼を知った・・・・・・なくもなさそうなのが恐ろしい話だ。


◇名探偵の自筆調書

どこか引っかかるものがあるメルカトルの笑い。そして、何者かからの招待状。

なぜ屋敷で殺人が起こるか。それを講義するメルカトル。

ファンからすればどうにも不穏な雰囲気を感じ取ってしまう。

その招待状がどこからのものなのか、どうしても考えてしまうし、美袋がどう返答したかもメルカトルが何を伝えたかったのかも、想像してしまう。


◇囁くもの

メルカトルが「囁き」について明確に言及するのはこの作品だけで、思えばこれまでの『不要不急』を除く三つの作品もこのコンセプトに合わせて解釈すると収まりがいい。

しかし、そもそもメルカトルシリーズというのはメルカトル鮎という異物が物語の内部にいながらして物語をメタ的に歪めてしまうことを楽しむきらいがあるため、どの作品も少なからずこのコンセプトに付合する。

昔の作品から、メルカトル鮎は最初から全て知っていて行動をしているのではないかという節はあったが、今回はまさにそれがテーマだ。探偵が犯人を追い詰めるために布石を置くことはままあることだが、メルカトルの場合はそれだけではない。なぜなら、事件が起きる前にまるでこれから起きることを知っているかのように前もって行動するからだ。

作中でわかりやすく解説があったので言うまでもないが、そもそも社長の不在や連絡が取れないことも偶然なのだろうか? メルカトルが喫茶店にいたことも、美袋と遭遇したことも偶然なのだろうか? もし必然ならばこの物語が「社長不在時」である意味はあるのだろうか? そこまで考えるとこの物語はどこまでも不自然さを覚えることだろう。

そもそも事件はメルカトルが誘導しているのでないか、とすら勘繰ってしまうのも無理はない。これは後期クイーン問題に何度も作品で挑んできた麻耶雄嵩の作風を考えると、非常に作為的なものを感じる。ましてや、そのメルカトルは後に衝撃的な運命に相見えるわけなのだから。

銘探偵とは、やはり物語の中核を銘打つ存在であり、だからこそ彼は間違えることがない「無謬」の存在と言える。それはときに読者の認知の外側まで及ぶことがあり、作中人物が知り得ないことどころか、読者が知り得ないことにまで彼の影響は及ぶ。そんな無謬の銘探偵メルカトル鮎が何に「囁かれ」るのか、それがこの短編集のコアであり、この一編のメッセージだ。


◇メルカトル・ナイト

巷の感想を見ていると、どうもこの作品を一番好きだと言っている人も珍しくない。実際のところは、二番目の人気作といったところだろう。作品の質はやはり素晴らしい。

トランプのカウントダウンに、絡み酒をするメルに馬鹿にされる美袋、強気な依頼者に、奇妙なタイトル。そしてオチの切れ味は、『囁くもの』に並ぶほど解りやすくコンセプトに合致しているし、謎の種明かしも非常に明快、オチの鋭さは言うまでもない。

メルカトルに「探偵と違い、失敗しても命までは取られない」などと発言させるなど、シリーズを追っているものにとってはなかなか響くサービス要素もある。

さて、真相については美袋の勘が正鵠を射ているのだろう。珍しくメルカトルも「さすが鋭い」などと発言している。しかし、メルカトルが美袋にそんな発言をするというのも妙なのでさらに裏があると勘繰ってしまうが・・・・・・。

メルカトルは美袋の追求に対してシラを切り、何度も思い留まらせようとしたという趣旨の発言をする。「時には失敗することもいい」だとか、脚立を取り上げて使えなくするだとか、雨が降るまで談笑して身動きを取れなくするだとか、計画を邪魔するようなことばかりしていたのは事実だ。だが、それでも今回の犯人は計画を実行した。

それは彼女の性格と実行力に裏打ちされた誘導なのだ。「失敗すること」に言及することが地雷である上に、その前にはライバルの話も振っている。さらには小説のジャンルについての地雷も踏み抜き、彼女の「殺意」を昂らせてばかりいる。とても思い留めようとしている人間の立ち振る舞いではなかっただろう。

やはり、この探偵の邪悪さは折り紙付きである。


◇天女五衰

非常に面白いのが、メルカトルが一切神も仏も天女も信じていないであろう言動をするところだ。イメージからして当たり前とも言えるが、ある意味、彼が信奉する唯一の神は別の次元にいて、しっかりと「囁いてい」るのだから自然そうなるとも言える。

そして笑ってしまうのは美袋が事あるごとに「最下位」を地の文で気にしているところだろう。あまりに気にしていて可哀想になるが、全然メルカトルは優しくしてあげなくて最低過ぎるのが面白い。

ミステリとしてはトリックも大掛かりで面白いのだが、それを当たり前のように何も知らないはずのメルカトルが封じて別の方向に誘導してしまうのが凄まじい。今までは推理の要素も多少なくもなかったと思うが、今回はどう考えても因果が転倒している。

メルカトルが消去法推理に用いたいくつかの要素が全てメルカトルの行動によって発生していることは押さえておきたい。「天人五衰」の話を聞ける人物という条件は、メルカトル自身が岩に登って目撃されたからである。彼らがトランクを見つけたことを犯人が知っているのは、メルカトルがなぜか美袋の散歩に付き合ったからであり、意味もなく天女堂に侵入したからでもある。そしてトランクがその場で開かれなかったのもメルカトルが美袋を止めたからだ。かくして条件は出揃い、一人が追加で殺された代わりに犯人は特定された。

この邪悪なる転倒の推理法はフィナーレに向けて増大し続けている。


◇メルカトル式捜査法

この作品の見どころは、あまりに調子の悪いメルカトルの姿だ。冒頭の入院のくだりでもう面白いのだが、しばしば美袋にやり込められたり、素直に反省をしたり、シルクハットを投げ飛ばして他人に怪我をさせるなんてシーンもある。ど忘れをして調べ物をしに行き、そこで勘違いから憤ったり、シルクハットを忘れてしまったりという、どこまでも調子が悪い。

美袋が心配するほどの様子なのだが、読者としてはどうにも不穏なものを感じることとなる。そしていつもと異なる言動は、やはり推理のロジックを転倒させ、事件を解決へと導く。・・・・・・と、確かにここまでは『囁くもの』から続く一連の作品と同様だ。しかしこの作品の面白さはそれだけではない。

銘探偵である以上、その言動には全て意味がある。それはメルカトルの意志に関係なく、彼が「銘探偵」であるからである。銘探偵とはそういうものだから間違いない。」

今回はそういった前提を基礎にした、彼にしかできないロジックで事件を解決していく。今までは匂わせるだけだったメルカトルをして、ほとんどそのようなことを明言したに等しい。

体調を崩したのは別荘に療養しにいくためであり、それは事件に遭遇するためだった。

銘探偵うたた寝などするはずがない、したがってうたた寝している間に犯人は現れた。銘探偵は隣にマネキンを置かれるなんて悪戯をされてうたた寝から覚めないはずがない、つまり、自身をマネキンを誤解されるためにそれは置かれたのだ。疲労で顔が血色が悪かったのもマネキンのように白い肌であるためだった。

ど忘れから図書館に調べ物をしてシルクハットを忘れ、それを美袋に取りいかせた。これは取りに行ったワトソンである美袋から曖昧な証言ひとつを拾い出すためだった。本来自分が行けばより確実に捜査を進展させられるはずなのにワトソンから情報を引き出したということはそれが関連する人物が犯人であるはずだ。

メルカトルはシルクハットを回し損ねて神岡の手首に怪我をさせた、これによって彼は釣りに出かけなくなり、被害者と和奏が二人きりになった。

そしてメルカトルは持っていた柔道雑誌を何者かに持ち去られている。これも本来ないはずのミスだ。これは犯人が柔道経験者で、つい持ち去ってしまったのではないかと逆算された。

そしてこれらのミスがミスではなく「銘探偵」という存在が引き寄せた必然であるならば、それらの意味を統合した先に犯人が描かれる。それは遅れてきた仲間の一人であり。それはメルカトルが見たり聞いた情報も傍証となり、より強固にロジックが補強されていく。かくして事件は犯人の到着と同時に解決する。

ところが、もしメルカトルが体調を崩さなかったら、どうだろうか?

神岡が怪我をすることはなく、犯人の動機は形成されない。つまりそもそも事件は起きない。よしんばメルが別荘に訪れたとしても、もしうたた寝をしなければ犯人はそこを横切ることはない。

この事件、本当に起こるはずのものだったのだろうか?

事件が起き、その解決のためにメルカトルは「囁かれ」後に重要になる言動を先んじて行っていた・・・・・・かのように見えていたこのシリーズの物語たち。だが、今回は事件を起こすためにメルカトルの挙動に変化が起きているように見える。転倒した推理は、転倒した因果関係にまで拡大され、メルカトルはその媒体として動いている。

それをさらに拡大して解釈した時、そこには「第四の壁」が見え隠れする。

メルカトルはかの最後の事件で、本当にミスを犯したのだろうか・・・・・・?


◇まとめ

麻耶雄嵩後期クイーン問題は切っても切り離せない。

『隻眼少女』が最たるそれかもしれないが、他にも神様シリーズは論理的な「真理」に到達し得ないミステリの構造的問題を「神」という外部の存在を導入して解決した解りやすいシリーズだ。

メルカトル鮎という探偵は「無謬」であるとされてきた。それはある意味、神様シリーズ以前に導入された「神」システムだったわけだが、この立ち位置は明確には定まっていなかった。神様がいる以上、同じシステムは不要である。だからメルカトルは作中人物でありながら、「囁き」によって無謬性を得るという探偵としてはあまりにオーバースペックな存在になりつつある。

今回の短編集では、推理そのもののロジックはそのままに、その根拠や条件の絞り方にメルカトル本人が介入するという恐ろしいミステリの書き方をしている。これがつまりは「メルカトル式捜査法」というわけだ。

真理たる答が決まっている神様シリーズと違い、メルカトルは答が出るように動いている(動かされている)。これがメルカトルの無意識の何かなのか、神や作者による啓示なのか、はたまた第四の壁を越えた読者の情報の受信なのかはわからないが、もはや独特の進化を遂げたシリーズと言えるだろう。

そして、「作中で探偵が提示した解決が真相であるとは証明できない」という後期クイーン問題をこの独自性で受けつつ、第二の問題である「物語中で探偵が登場人物の運命を左右することへの是非」へ構造はシフトしている。

ただこの問題への答は「メルカトルのせいで事件が起きてもしょうがない、メルカトルは銘探偵なのだから」ということなのかもしれない。

だって、それが好きで僕らはメルカトルシリーズを読んでいるのだから。

 

 

哲学のプロムナード(ΦωΦ)黒猫堂はamazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。