哲学のプロムナード(ΦωΦ)黒猫堂

推理小説やSFのレビュー・書評・ネタバレ解説・考察などをやっています。時々創作小説の広報や近況報告もします。

伊藤計劃 『ハーモニー』 レビュー/考察(ネタバレなし)と、『虐殺器官』との比較と感想・解説(ネタバレあり)

 
 
ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

 
 
目次
 
 

ハーモニー

べストセラー『虐殺器官』の著者による“最後”のオリジナル作品。21世紀後半、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は見せかけの優しさと倫理が支配する“ユートピア”を築いていた。そんな社会に抵抗するため、3人の少女は餓死することを選択した……。 それから13年後。死ねなかった少女・霧慧トァンは、医療社会に襲いかかった未曾有の危機に、ただひとり死んだはずだった友人の影を見る――『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。日本SF大賞受賞作。 

 

レビュー

 
(2015/11/29 追記: 劇場版も鑑賞済み。原作と比較して内容に差異がほぼないので、殆ど唯一違っていた点だけネタバレの項目で触れます。基本2014年の記事なので原作のレビューになっていますが、劇場版のレビューとして読んでもほぼ問題ないと思います。劇場版のネタバレは原作のネタバレの後に挿入するので原作ネタバレのみ読みたい方は最後まで読まないようご注意を。劇場版のネタバレを読む方は全部読んでいただいて大丈夫です)
 
 面白かった。前回書いたエントリー
の『虐殺器官』とどちらが上だろうと、ちょっと考えたりもしたのだけれど、そういう比較の仕方はうまくいかなかった。
 
虐殺器官』が物語を通して人類が持つ破壊のエレメントの暴走をアクション映画のように面白く描いていたの対して、『ハーモニー』は突き詰めた哲学と論理が表にあってどこか心地良く雰囲気が演出されている。いろいろな部分が対になっている二作だけれど、面白さとか良さみたいなものは違うベクトルで伸びていて、個人的には『虐殺器官』『ハーモニー』の二作が揃って初めてひとつの作品かなと思う。
 
しかも、もっと言えば、『虐殺器官』が先にあるべきだと思う。単体でも読めるし、順序が逆でも読めるけれど、『虐殺器官』は現代の現実世界をベースにして読むことができるのに対し、『ハーモニー』は現実世界の社会問題や風潮をベースにすることはできても『虐殺器官』の時のようにリアルそのものをベースにするのは少々難しい。リアルがベースにある『虐殺器官』、そして『虐殺器官』の世界をベースにした『ハーモニー』というふうに読むのが最も世界観を描きやすい。 
 
内容は、人類の個々の命が社会のリソースとして高価値になり、自己が自己を人質に取り健全であることを開示することで調和を生み、健康な心と肉体がWatchMeと呼ばれる体内の恒常性を監視する分子や、その他の様々な技術とルールでマネジメントされ、病気は消え誰もが健全になった世界を描いている。『虐殺器官』の後に起きたとされる「大災禍(ザ・メイルストロム)」という荒廃した時代を乗り越え、人類はそのようなことが二度と起きないように上記のような徹底した社会を作り上げる。
 
そんなユートピアが、実際には幸福なのかというのが最大の問題提起であり、この作品のテーマだと思う。その一方でそれを打ち壊すような事件も起きる。主人公はその謎を追う。 ストーリーとしても面白いが、SF的な描写としての面白さもある。アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』のような未来感だとか(ある人はグレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』のようだとも言っていた)、個人的には瀬名秀明『デカルトの密室』のような雰囲気も感じた。
幼年期の終り ハヤカワ文庫 SF (341)

幼年期の終り ハヤカワ文庫 SF (341)

 
ブラッド・ミュージック (ハヤカワ文庫SF)

ブラッド・ミュージック (ハヤカワ文庫SF)

 
デカルトの密室 (新潮文庫)

デカルトの密室 (新潮文庫)

 
 
虐殺器官』同様、考えることがたくさんあることも面白さの一つだが、『虐殺器官』とは違う面白さとして、作品全体の雰囲気も感じ取って欲しいところだと思う。 こちらも『虐殺器官』同様、ノイタミナでアニメ化するそうなので非常に楽しみ。(2014/12/13追記:2015年劇場アニメ化の情報を貼っておきました。動画の下にもまだ記事の続きがあります)
 
(2014/12/13追記:伊藤計劃が書き始め、死後に円城塔が引き継いだ長編『屍者の帝国』もアニメ化するそうです。なので早速購入してきました、後日レビューを書きたいと思います。)  
(2015/11/03追記:レビュー書きました)

本当はもうちょっと経ってから『ハーモニー』を読もうと思っていたんだけれど、気になったからササッと読んでしまった。綺麗な小説です。 さて、この後にネタバレありのレビューを。

 
虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 
ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 
屍者の帝国 河出文庫

屍者の帝国 河出文庫

 
 

ネタバレ

トァンは、少女の頃こそミァハに心酔し憧れていたのかもしれないけれど、時が経った終盤ではトァンの方がミァハよりもミァハらしかったのかもしれない。トァンの回想するミァハは読者としてもカリスマ性があって魅力的な少女だけれど、終盤で再登場したミァハはどこか子供っぽく感じて、逆にトァンの方が魅力的に映る気がする。そこが読み終わって面白かったなというところ。 
 
今作は少々複雑で、説明が易しくないようで、かなり感想やレビューが混乱をきたしている(笑) 
 
まずトァンが何故急に正義に目覚めたかという疑問を見かけた。これに関しては全く目覚めてないと思う。ちゃんと読めばおそらく解るけれど、トァンは最後まで世界のことはどうでもよくて「プライベート」な理由で謎を解明していき、ミァハのもとに辿り着いた。(2015/11/29 追記:劇場版の感想では逆にトァンは何故世界を救わなかったのかという疑問が多く見受けられるけれど、これも同じ理由)
プライベートな理由というのはキアンと父の復讐というのがひとつ、ただ僕の感覚ではあまりこれは重要ではなかったんじゃないかなという気はする。父と自分との関係、自分が知らなかったキアンの想い、二人の命が事件に関わって失われたということ、この辺の「衝撃」をどう処理するか、それこそ意識をどこに落ち着かせるかというか、そういう動機だったんじゃないかなという気もする。ミァハへの復讐は目的ではなく手段だったというか、最後の最後にはそれですらなかったのかもしれない。
 
あとは何故、トァンはミァハを止めなかったかという点。これは単純に納得がいったからだと思う。トァンは上記の通り別に世界のことなんてどうでもいいと思っている。だからミァハ側の作戦が実行されようと構わない。それに最後の会話で意識の消失という未来に対して「それでもいいと思った」のだろうと思う。
 
 
あとはミァハの心変わりが雑っていう話も見かけた。正直なところ僕もこれはもうちょっと濃く描写しておくべきだったと思う。生命主義、リソースとしての価値が膨張した社会、自己を人質にしたハーモニクス。こういうものを嫌っていたミァハが、トァンの父とともに同じグループに属し(分化しているとはいえ)、そして最後にはそんな世界を肯定するために同時多発自死を引き起こし、WatchMeによる意識消失のボタンを押させようとした。この真逆のベクトルに心が傾いた理由がもうちょっと欲しかったという人がたくさんいるようだ。まあ確かに……という気もする。ただ意識のない民族の生まれで、意識のない状態こそが「故郷」であったミァハが、実験対象として一時的にそれを体験し恍惚で幸福な気持ちになったというのだから、心変わりの理由としては最低限の説得力はあるんじゃないかなとは思う。 
 
最後のエピローグの伏線回収は面白い。etml言語と呼ばれる、表記そのものが小説になっているというもの。「意識」を失った意識が表記し体感するetml。これも説明不足ではあるけれど、伏線がインパクトありすぎるとエピローグの印象が薄まるからこれでいいのかもね。とにかく、現代社会の問題を誇大化したようなユートピアディストピアともいえる世界で、そしてハッピーエンドともバッドエンドとも言える終わり方をしたわけだけれど、作者である伊藤計劃が亡くなってしまい、この世界の真の解答は読み手が想像するほかなくなってしまった。後のことは我々読み手の宿題である。
 
(以下 2015/11/29 追記)

劇場版ネタバレ   

 

劇場版と原作ではほとんど差がなくて、思いの外忠実に原作をなぞった劇場版だったと思う。

唯一大幅に違っていたのが、トァンがミァハを撃ち殺す理由の明言の内容だろう。

原作のネタバレになるので詳細は書かないけれど、原作ではトァンがミァハを殺した理由は「愛情」故という描写にはなっていない。劇場版では、意識〈わたし〉の消失により世界が変わってしまうことには納得がいっているトァンだが、その世界にミァハはいてほしくないと思っていて、その理由は自分が愛していたミァハが変わってしまうから。自分の好きだったミァハが変わってほしくないという愛情から引き金を引く。

このあたりの描写が原作ではハッキリと異なる。原作ではこの部分のセリフが別のセリフになっており、それは他の理由を述べるセリフになっている。

ただ僕が思うのは、だからと言って全く話が変わってしまうわけではないのではないか。

Aという理由とBという理由があったとして、それがA:B=7:3がA:B=3:7に変わったくらいのイメージというか。最初から原作も劇場版もどちらの理由も内包していて、どっちの思いを強く描写したかの差異でしかないと思う。

個人的には原作の描写のほうが好きかなぁ。

でも劇場版も思ったより良かったと思う。

 

哲学のプロムナード(ΦωΦ)黒猫堂はamazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。