伊藤計劃 『虐殺器官』 レビュー/考察(ネタバレなし)と、エピローグの真相をめぐる感想と解説(ネタバレあり)
目次
虐殺器官
9・11以降の、“テロとの戦い"は転機を迎えていた。
先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。
米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう……
彼の目的とはいったいなにか? 大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官"とは?
ゼロ年代最高のフィクション、ついに文庫化。
レビュー
ネタバレ
肝心の「虐殺の言語」とは何なのかについてもっと触れて欲しかったし、虐殺行為を引き起こしている男の動機や主人公のラストの行動などにおいて説得力、テーマ性に欠けていた。
これが小松左京の評です。
まあ全否定の感も否めないけどね、これ(笑)
軽く触れておきたいと思う。
虐殺の言語というのは、作中で「虐殺の文法」として登場しているものだけれど、日本文化を学ぶ者として言えるのは、これは呪(まじな)いとしての言語、言霊のようなものから着想を得ただろうということと、もっと現実に則した言い換えのようなものも想定しているかもしれない。ナチスが虐殺を処理と言ったりとかね。まあこれは正直僕ももうちょっと具体的に説明しても良かったんじゃないの?とは思った。もしかしたらまずそんなものを具体的に説明することが不可能だったのかもしれないけどね。具体的にすればするほど実現性において確実な無理が見えてきて呪術的なイメージが損なわれるから。進化における産物であるというような説明が若干あったけれどあれが必死に頑張った結果として限界の説明だったのかもしれない。
ジョン・ポールの動機に関しては、まあ納得は行く。これは抽象的な思考が苦手な人にはそんな理由でこんなことするかよって思うかもしれないけれど、思考を最も大事にしているような僕みたいな人種としては動機としては十分。
ただ、感覚的に腑に落ちないのはそもそも、たとえばアメリカのためにその他の国で虐殺を起こすというのが効果的なのかどうかだよね。作中では効果的だったから矛盾はないけれど、ちょっと親近感は湧きにくい。なぜなら富裕国の自由のために貧困国に不自由が生じるという現象は作中の認証社会とか高度な科学とかそういうものがあってこその思考回路であって、そのことをもう少し作中で表現しないと、読み手は安易に自分の時代に当てはめるからね。あくまでもあれは未来的な動機だと思わないとぼんやりしてきてしまう。僕個人としてはここは特に問題じゃなかったけれど。
主人公のラストに関して。エピローグで、一人称について軽く描写している。これまで読者が読んだものは主人公の語りであるというニュアンス。これには2つ思うところがあった。ひとつは、主人公は思考に関してカウンセリングによる統制がなされているということ。そもそもこの主人公は文学的に淡々と喋るようだけれど、戦闘中の描写あたりのあまりに落ち着いた語りはぼんやりとカウンセリングによる効果を表現してるんじゃないかなと思った。
後半、自分の意志がそこに在るのかという疑念が出てくるわけだけど、まさにこの語りは作られた語りなのかもしれない。考察の域の話だから全然違うかもしれないけれど。ふたつ目は、この文章こそ、どこか虐殺の文法的な表現法なんじゃないかという感覚。これは感想だけどね。どこか麻痺してくるような、あまりに冷たいような、残酷というか悲しいというかそういう感覚が読んでいて感じられる文だったなと後から思って、こういう感覚が世の中で蔓延したらきっと虐殺に繋がるんじゃないかなってちょっと思ったりもした。
そういう意味で、ラストの主人公の行動はかなり常軌を逸していたような気もする。あまりに自分にとっての救いが消滅していって、まわりの人間が死んでいって、結果として虐殺の文法に自身が魅入られたような感じ。
その一方で、完全に正常だったとも考えられる。論理的に、ジョン・ポールと真逆のことをやって、それを自身の罪として背負うことで「救われない救済」を得るというような論理的な行動。
これはどっちとも取れる気はするけれど、もしかしたら両方なのかも。まあどう考えても、ジョン・ポールが死んだ今、「アメリカ以外のすべての国のために」はならないと個人的には思う。だからあの行為はあまりに不条理な感じがして、それが読後感として後を引く。面白い終わり方だったとは思うけれど。
あと、これはもしかしたら程度だけれど。
あるいは真実かもしれないけれど。
上の納得のいかなさというか、心地よい終末感でありつつも、もやもやした結末というか、そういうのを解消する一説も一応作中から推測しうる。
ぼくは罪を背負うことにした。ぼくは自分を罰することにした。世界にとって危険な、アメリカという火種を虐殺の坩堝に放りこむことにした。アメリカ以外のすべての国を救うために、歯を噛んで、同胞国民をホッブス的な混沌に突き落とすことにした。
とても辛い決断だ。だが、ぼくはその決断を背負おうと思う。ジョン・ポールがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。
これがどうにも納得がいかない部分だよね。狂ってるんだか絶対的に正常なのかどっちか判別できない。
これもしかしたらトリックかもしれないね。
というのも、作中でジョン・ポールは、人類が絶滅した廃墟のような地球や無人の宇宙ステーションのような風景を夢見ているんじゃないかって話が出てくる。
もちろん上記の通りこれは主人公の一人称で語られる。
ここで重要なのは、主人公とジョンは表裏のような存在でどこか似通っているという点。これはあるいは自分が夢見ている風景なのかもしれない。
この風景を想像して安らいでいるシーンもある。その理由は、自分が度々夢に見る世界、「死者の国」に似ているから。
暗殺という凄まじすぎる「仕事」をして、すさまじい葛藤を抱え、許す者も罰する者も失った末に、主人公クラヴィス・シェパードは、自身の夢見る「死者の国」を世界に再現しようとしているのかもしれない。究極の安らぎを求めて、結局罪を背負うこととか救済することとかそういうことはどうでもいいのかもしれない。
と、すれば、最後のもやもやは綺麗に解消されるし構成美もある。まあこれは真相なのかわからないし、ただ一説にすぎないけれどね。
ともかく、いろいろ考えられるのがすごく楽しい。総合的には、良いものを読んだという気がする。
追記(2014/05/07)
記事書いた後色んな人の考察見て回ったら同じ考えの人が結構いて、もしかしたら最後の「もしかしたら」が作者の想定した真相なのかもしれない。まあ確定要素ないし、人によってどう捉えるか違うという曖昧な作り方をしているというのは間違いなさそう。