呉勝浩『爆弾』レビュー/ネタバレなし
些細な傷害事件で、とぼけた見た目の中年男が野方署に連行された。
たかが酔っ払いと見くびる警察だが、男は取調べの最中「十時に秋葉原で爆発がある」と予言する。
直後、秋葉原の廃ビルが爆発。まさか、この男“本物”か。さらに男はあっけらかんと告げる。
「ここから三度、次は一時間後に爆発します」。
警察は爆発を止めることができるのか。
爆弾魔の悪意に戦慄する、ノンストップ・ミステリー。
どうも、らきむぼんです。
今日は直木賞候補作品でもある、呉勝浩『爆弾』をレビューします。
また、You Tubeにて紹介も行っています。
声での説明で大丈夫な方は動画でも同じ内容を話しています。
ネタバレなしでレビューしていますが、序盤の展開と登場人物について、少々具体的な詳しい説明をしています。一切のノイズなしに読みたいという方はご注意ください。
【ネタバレなし】呉勝浩『爆弾』レビュー
取調室と一人の正体不明の爆弾魔。
この小説の爆心地はこのシンプルな舞台だ。そこから群像劇に展開される東京都内への爆破予告とその恐怖は、物理的な破壊にとどまらず、人間の歪な心情までぐちゃぐちゃに破壊していく。
物語は都内各所に仕掛けられた爆弾の爆発を阻止するべく、それを仕掛けた犯人と警察が心理戦を繰り広げ、群像劇的に都内を駆け回って爆弾の発見に力を尽くす現場の警察官たちをも描く、一気読みできるくらいにスリリングな警察モノだ。
しかし、このシンプルなストーリーの要約には収まりきれないほどの感情とピリピリした臨場感が描かれている。
犯人である自称スズキタゴサクは、記憶喪失で爆弾の予知も霊感であると語り、ドラマや映画でよく見る劇場型犯罪の犯人とはまったく異なる「どこにでもいそうなだめな中年オヤジ」のような風貌と言動をする。しかし、それでいながらこの男にはどこか企みがあると思わせるものがあり、取り調べを担当する刑事を翻弄しながら、ときにクイズのような仕方でヒントを出し、爆弾の在り処を匂わす。それを元になんとしてでも爆弾を見つけたい警察。だんだんと警察はこの「酔っ払い」に対して、本気になっていく。
しかしこの心理戦は、スズキタゴサクがとある発言をしたことから、一気に様相を変える。
それが新たなる謎の軸を生み、群像劇はうっすらと繋がりながらもそれぞれ加熱していく。
この物語の異様さと面白さは、名犯人の存在にある。
スズキタゴサクと名乗る犯人の得体の知れなさや不気味さは、次第に相対する者の心の弱さや醜さを表面化させ、恐怖心へと変えていく。
この爆弾魔は、思惑をすこしずつ見せながらも、決定的な部分はのらりくらりとかわし、なかなかその正体を掴ませない。
この失うものがない「無敵の男」が怪物として牙を向くとき、社会の爆弾の導火線は着火する。
本作は常に物語の爆心地にいるスズキタゴサクがあまりに魅力的だが、彼は決して悪のカリスマではない。
『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターや『セブン』のジョン・ドゥ、『ダークナイト』のジョーカーは悪のカリスマといえるだろう。しかしスズキタゴサクはこれとは毛色が違う。あくまでも卑屈で意地汚そうなだめな中年だ。だがそのふるまいの奥にはたしかに知性があり、根本にある秘められた何かがハンニバルたちと同じ雰囲気をまとっている。
爆弾は都内の住まう多様な人間を無差別に殺していく。
これは、現代社会においてあまりに残酷だ。命は平等である、という建前で我々は生きているし、国家は運営される。警察は誰の命も天秤にかけてはならない。しかし、スズキはヒントを出しながら警察に命を選ばせる。命を選ぶしかない、あるいは無意識で選んでいると自覚させる。誰を救って、誰を犠牲にするか、警察だけでなく人間はみんなそれを選んで生きている。
その事実が、作中に登場人物たちを悩ませる。もちろん読者も。
すべての登場人物の抱える複雑な闇に読者は少なからず共感したり反発したりするだろう。読み進めるほどに、スズキタゴサクに登場人物は認めたくない感情を見透かされたり、偽善を煽られたりする。それは同時に読者が現実逃避してきた心の内でもある。
スズキタゴサクの語る差別意識だとか社会の構造論だとか、そういうものは薄っぺらく聞こえるが、その一方で誰の心にも共感する部分がある、強力なロジックだ。
作者はこう語る。
このロジックの質(たち)の悪いところは、刑事や一般市民にもどこか根っこの部分で理解、共感できてしまう点。だからこそ、スズキの側に行かずに踏みとどまれるかどうかを各々が試されるんです
読者は「自分ならどうか」と次第に考えるようになる。その没入が、この小説の面白さだ。
たとえば、非常に心をえぐった強烈な問いかけがあった。
目の前にあるボタンを押せばどこかの街に爆弾が落ちる。たくさんの人が死ぬが代わりに大金がもらえる。更に、ボタンを押しても押さなくても爆弾は落ちるとする。
このとき、あなたはボタンを押すか?
このとき、僕は自分のことを言われていると思った。
僕がこうなったとき、きっとボタンを押す。そういうところがある。それを指摘された気がした。
こういうことを突きつけてくる。それが面白い。「おい、あんたのことだぞ」と容赦なく言ってくるような、そんな感じがする。
ノンストップで展開する、爆弾魔と警察の心理戦という面でもエンタメ的面白さが抜群にある。怪犯人と戦う警察サイドにも魅力的なキャラはたくさんいて、僕は特に特殊犯捜査係の類家が好きだ。
スズキは心理ゲームのようなやり取りや、思い出話のような会話のなかで、突然にヒントを出してくる。それは言葉遊びに過ぎないが、それが暗号ミステリ的なクイズになっており=爆弾の在り処のヒントになっている。
出題者がいれば解答者も当然いる。
それが類家という捜査官だ。
彼のキャラクターもほんとうに面白い。スズキタゴサクが怪人であるならば、類家もまた怪人だ。スズキのクイズに唯一ついていける彼はやはり世界からずれてしまった人間だ。
この怪物同士の殴り合いが心底面白い。
それと対比されるように、あまりにリアルに「正義の基準を失っ」た等々力という刑事も魅力的だ。彼は警察の不祥事に、共感を示すような発言をして冷遇されているが、その裏には激しい感情の揺れがある。
登場する人物たちがそれぞれ何かを抱えていて、それが「爆弾」によって繋がり、表出する。その群像劇のうねりがページを捲らせる。そしてその物語がどう決着するか気になってしょうがない。そうやってたどり着いた形容しがたい目眩がしそうな締めの一行はあまりに印象的。この一行のために、この本を手にとって見てもいいだろう。
時代がこの物語を風化していく前に読んでみてほしい。
爆風に十分備えて。
倉野憲比古作品レビューまとめ
皆さんどうも、らきむぼんです。
かねてより感想をまとめておきたかった、倉野憲比古さんの作品レビューを一挙に公開しました。
複数記事となっていますのでこのページから全て飛べるようにしておきます。
倉野憲比古さんとは?
倉野憲比古さんの代表作「心理探偵・夷戸シリーズ」の紹介
倉野憲比古作品のネタバレ感想・解説
倉野憲比古作品 感想・解説 各種動画
【ネタバレあり】倉野憲比古『弔い月の下にて』感想・解説
どうも、らきむぼんです。
この記事では、ネタバレありで倉野憲比古さんの10年ぶりの最新作『弔い月の下にて』 の感想・解説をしたいと思います。
この記事の内容は動画でも観ることができます。
声でも大丈夫な方は、少しだけ詳しく説明しています。
ネタバレなしの紹介記事と、作者の倉野憲比古さんについての記事はこちらから。
【ネタバレあり】倉野憲比古『弔い月の下にて』感想・解説
心理学を学ぶ大学院生の夷戸憲比古、ホラー雑誌編集者の根津圭太、二人が通う喫茶店のマスター羽賀美奈の三人は、旅行で訪れた壱岐で、好奇心から怪談じみた噂を残す弔月島(ちょうげつとう)に足を運ぶ。かつて隠れ切支丹達が住まい、独自の形でその宗教を残すその島には、奇妙な館が立ち、近づいた三人は館の住人によって軟禁されてしまう。そこには同じく軟禁された先客がおり、彼らにはそれぞれ島の主人との因縁があるらしい……
と今回も本格のガジェット盛々の舞台だが、もちろんただの本格ではない。
そこには怪奇幻想の気配が立ち込め、当然変格への転換が待っている。
本格のガジェットから変格ミステリへの変貌という型の三作目にして、もっとも入りやすい倉野ミステリ入門の一冊といえる作品だ。
ただし、実は今回は変格の色は前二作と比べてやや薄いといえる。
その分、怪奇性が強く、江戸川乱歩のような雰囲気がある。
古き良き本格と、本邦のミステリの先祖ともいえる乱歩の怪奇性がうまく融合した作品で、前二作よりもある種「真っ当なミステリ」として評価できる作品だろう。
個人的には「倉野さんがすげー本格っぽいミステリ書いてる!」と勝手に盛り上がってしまった(笑)
好みとしては『スノウブラインド』のような変格の色が濃いものが好みだが、しかし再デビューの一作としては決して悪くない、まさに「本作は変格探偵小説なのか? はたまた異形の本格なのか?」という倉野さんの言葉通りの議論渦巻く作品かと思う。
個人的な結論としては、これは異形の本格であり、変格の域に振り切った作品ではないと思うが、変格の要素が全く存在しない作品ではない。
「変格ミステリ」の入門とは言えるだけの要素は持ち併せているだろう。
一方で、読了後に僕が感じた最も強い印象は、「これで倉野ミステリの型は定まった」というものだった。本作までの三作で、倉野ミステリというジャンルは確立されたように思え、それは実は夷戸シリーズの型であるかもしれないが、いずれにせよ僕なりの倉野さんに書いてほしい要素はしっかり今回も回収されている。
それは僕の中で三つに集約される。
①本格のガジェットからの変格への転換
②心理学の薀蓄を語ることで、心理学的なオチや解釈を補強する
③「了解操作」によって、リドルストーリー的な要素、回帰する謎という選択肢を残す
これらがしっかり描かれているからこそ、安心して楽しめているし、変格から本格に寄っても変わらず楽しい作品だったといえる。
今回は前にも増して本格のガジェットが強力で、もはや新本格の世代では登場しなくなっているような伝統的なものも登場する。
孤島と奇妙な館、闇深い一族、捻れた宗教、怪人、そして顔のない屍体というトリック。
そこからのお馴染みの「推理」ではない「了解」という手順を用いた、いわば「了解合戦」が行われるのは見事で面白い。今回については根津も冒頭で精神分析手な解釈を行っていたりと、どちらかというと根津がオカルト担当から探偵志向のキャラクターに寄っており、語り手的な意味でもワトソン的なポジションを取ることが多かったように感じた。
ちなみに本作ではこの「了解」への説明がほぼなく、登場人物たちの背景(墓地裏で生まれた関係性)の説明もない。これはシリーズであれば省略できる部分であるとは思うが、一方で、本作が倉野さんの10年ぶりの作品であることを鑑みると、少々説明不足で、初見の読者がピンときていないのではないかというきらいがある。
入りやすい入門的な意味での難解さの省略と捉えられるか、あるいは、どういう経緯で集まった人でどういう性格の人でどんな思考をする人なのかわからないと思われてしまうかは諸刃であるなとも思う。
もちろんこの辺りを事前に知っているシリーズ読者にとってはなんの問題もないのだけれど。
むしろ意味深な、夷戸の心象風景(過去の女性キャラクターや母親が登場するシーン)などはどういった狙いがあったのがご本人に聞いてみたいような気もしてしまう。
これはシリーズならではの惹きの強さかなと思う。
逆にここから入った人達の感想も気になるところ。
さて、感想がやや無軌道になってしまっているが、真相(解釈)についてもやはりこのシリーズならではの要素がある。
最終的な夷戸の了解で、曽我も石崎も自殺で落としていいのは、この作風だからこそ。
ミステリを裏切るミステリとしての構造こそが変格であり「倉野ミステリ」。
心理学を真相格に持ってこれるのは心理学の衒学趣味があるからこそ。
心理学の説明がなされ、それで物語が解釈されることを是とする雰囲気があるからこそ、本格では避けられるものにも深みが出る。
前作まででもそうだが、倉野さんのミステリにはほとんど証拠が出てこない。
それは解釈の幅を作り出し、そしてその解釈が真実であることを求めていないミステリだからだ。
だからこそ、今回は夷戸が最初の了解操作に失敗する。
証拠や「本人による言」が出てきたときに、夷戸の物語は簡単に無に帰してしまう。
それが描かれたのも、シリーズを追ってきた読者には少し嬉しい。
そして夷戸というキャラクターの造形がしっかりと根を張っているのも、嬉しい部分だ。
『スノウブラインド』での夷戸は(根津もだが)少々人間味が薄い温かみのないキャラクターのように読者には映る。これは『スノウブラインド』作中での事情もあり、しっかり理由があるのだが。
そして『墓地裏の家』ではその部分は和らいでおり、夷戸の人間的な部分が垣間見える。
彼の苦悩は俗っぽい部分がしっかりあって、やはり一人の若者だ。
それが今作でもよく現れており、そして彼の心理学を学ぶものとしての流儀も表明されている。
印象的なのは了解によって、人を救おうとするシーンだ。
彼はみんなが傷つかないようにするために、真相が「自殺でも他殺でもない」という了解を行った。
それは否定されてしまったが、東條からは感謝されている。
こういった面からも、夷戸が真相を追求する探偵ではなく、心理学を学び、人を救う道を歩んでいることがわかる。
ここまで来ると愛着のあるキャラでもあるので、このちょっとした成長が少し嬉しく感じてしまう(笑)
夷戸について言えば、さらに前作を補強するような描写もある。
幻視、幻嗅、幻触と、何かの拍子に様々な幻覚を自らに引き寄せるのが、夷戸に備わった一種の特殊な才能だった。それは精神の平衡がいまひとつ保たれていない、ということの証左となるのかもしれなかったが。自己の内面の闇を解明したい――そういう動機も異常心理学を専攻することを選んだ理由のひとつだった。
これは前作の幻嗅を補強する。夷戸は元来そういった素養があって、それが異常心理学を専攻することを選んだ理由にもなっているというのは面白い設定だ。
また、了解操作における「異常心理学を理解して行動や思考をトレースする」という行為も、この幻覚を引き寄せる能力によるものだとも考えられ、夷戸の設定の深みは増しただろう。
夷戸については今回かなり掘り下げられていて、実はかなり気になっている。
心象風景のなかで登場した母親も意味深だ。
それに夢の中の女が言った「……の世界へようこそ」という言葉も。
このシリーズが予定通りの四季四部作だとしたらこういった話に進展はあるのだろうか?
気になるところは多い。
登場人物に関しては、先に語ったとおり、やや根津や美奈の描写は弱い。
彼らのキャラ造形はぜひぜひもっと掘り下げてほしいなと個人的には思う。
しかし、それでも下手に感じないのはさすがだ。
彼らの背景がやや薄いのに対し、今回はゲストキャラである他の登場人物や、回想に登場する個人やエピソードがあまりに面白い。
それぞれが抱える闇や病理が、よく描かれていて、かなり濃い内容になっている。
そして彼らがそれぞれ話し合う掛け合いの上手さはやはり健在だった。
都合よくみんなが語りたくないことを語るある意味ご都合主義的な展開なのだが、それを感じさせない上手さがある。
愛憎のバランスがよく、良い意味で本格によくある人工的だが色濃い人間模様がしっかり描かれている。
特に凄まじかったのは伊留満の描写だろう。
どこをとっても気持ち悪い(笑)
このゾクッとする人物描写が最高だなと思う。
さて、最終章の「オカルト」説にも触れておきたい。
シリーズお決まりのリドル的、選択的結末だが、これも面白い内容だった。
今回は変格に寄りきらなかったのが逆に印象的だ。
というのも、最後のオカルト的な解釈は、抜け穴という本格のロジックを使っている。
本格のロジックを用いて変格の落とし方をするのは、ある意味ではどっち付かずの面もある。
やはり今回は変格か異形の本格か、というテーマがそうさせたのかもしれない。
むしろ、変格的に見て最高だと思ったのは、その前段階の「屍蝋」だった。
屍蝋が、一挙に崩壊する、その描写があまりに素晴らしい。
僕としてはやはりこういった変格の「どうしようもなく不条理で、説明のつかない何か」を感じさせる展開のほうが好みなのかもしれない。
あの描写があるからこそ、夷戸の了解だけではすべてを説明できないんだなと思う。
そして最後に、シリーズとしての期待とラストシーンについて。
僕が印象的だったのは、最後の夷戸の反省ともいえる言葉だ。
夷戸は今回、最後の可能性に至って、「敗北感」を覚えている。
これは今までになかったことだし、なにか続編へのフックなのではないかとどうしても思わせる。
自分には何も見えていなかったのか? 賢しら人である自分には闇黒の深淵は見通せないのか? などと自分を見つめる夷戸は「わからない」と言葉にして、この物語は終わる。
このラストシーンは印象的で夷戸の挫折を思わせる。
これも踏まえて僕は4部作の最後が見てみたい、とやはり強く思う。
倉野さんの次作が刊行されるかはわからないけれど、やはり『スノウブラインド』と『墓地裏の家』を読み終えたあとと同じように「次が読みたい」と思わされる。
そして「新変格」の最前線で活躍する夷戸たちに、やはり期待してしまうのだ。