哲学のプロムナード(ΦωΦ)黒猫堂

推理小説やSFのレビュー・書評・ネタバレ解説・考察などをやっています。時々創作小説の広報や近況報告もします。

【ネタバレあり】倉野憲比古『スノウブラインド』感想・解説

どうも、らきむぼんです。

この記事では、ネタバレありで倉野憲比古さんのデビュー作『スノウブラインド』 の感想・解説をしたいと思います。

この記事の内容は動画でも観ることができます。

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ネタバレなしの紹介記事と、作者の倉野憲比古さんについての記事はこちらから。

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【ネタバレあり】倉野憲比古『スノウブラインド』感想・解説

不気味な伝承の残る土地に血塗られた歴史のある館。ドイツ現代史の権威ホーエンハイム教授の邸宅、通称「蝙蝠館」に招待されたゼミ生達は、吹雪で外に出られない状況で、殺人事件に巻き込まれる。
……と、本格も本格、これ以上ないほどの本格ミステリ的ギミックの応酬で、中盤まではまさに古き良きミステリを読んでいると錯覚するが、中盤以降の徐々に崩れていく現実味と、姿を現す超常的現象を契機に本格は変格に反転していく。

この反転の振り幅が楽しい。まるで落下しているのか浮遊しているのか判らないような、自由落下中の無重力のような感覚を味わうことができる。それはクローズドサークルのような本格ギミックだけでなくて、衒学趣味や推理合戦のようなミステリの面白さが、ミステリに慣れ親しんだ読者のツボを押さえていて、読み手が慣れた舞台だからこそ、それが崩れていく違和感の肥大化が目に見えて解かる。

たとえば悪魔憑きなどが起き始めた時点で「あれ、様子がおかしいな(笑)」と思うだろう。
終いには空中浮遊などをするので、そういった本格では本来タブーである領域に踏み込む描写が、トリックなどによる錯覚ではなく「事実」として描かれ始める違和感が、本来の本格ミステリの枠を超えた瞬間に言い得ぬ「変格」としての快感に変わる。

「ここまでは何か現実的なトリックで説明できるかも……これはどうかな……ギリギリいけるかな…………あっ超えた」というような、本格の土俵で説明ができなくなる瞬間がどうにも愛おしい。

具体的には時間遡行がその最たるもので、ある意味そこが本格が終りを迎える瞬間、本格が垣根を超えて変格に切り替わる瞬間で、変格ミステリを愛するものとしては「待ってました」の大興奮なシーンだったと思う。

三大奇書に通じる衒学趣味と酩酊感は、僕のような、その筋の愛好家には大好物だろう。作中でも夢野久作の『ドグラ・マグラ』や小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』に触れており、明確に三大奇書を意識している。『虚無への供物』に否定的な立場を取る人物が登場するのも非常にそれっぽい演出で、実際に『ドグラ・マグラ』と『黒死館殺人事件』を二大奇書的に位置付け、特別視する立場の人もいる。

特に初期乱歩や夢野久作へのオマージュ感は重厚な演出として舞台を作り上げている。……が、実は倉野さんがこのあたりの小説が好きらしいので、ここはそういった影響と趣味が出ているポイントなのかなとも思う。こういったところが作者の持ち味や趣味が良い意味で主張してきて作品の味になっていて好印象。ましてや、倉野先生をTwitterなどで知っているからこその親近感や日常の発言などと結びついて、正しい評価の仕方かどうかは別として、面白いなと思う。作家がSNSで近い距離にいるからこその新しい読書の楽しみ方として、そういった一面があってもいいんじゃないかと思わせる部分がある。

フロイト精神分析が物語の非常に大きなポイントとして扱われている点も好きな点だった。しかもそれがナチス魔女裁判にまで関連するとは面白い。魔女についての知識や今や古文書と言っていい『魔女に与える鉄槌』(作中では『魔女の槌』)なんかにも言及する主人公がなかなかいい。これは魔女について調べたことがある人なら(ほぼいないと思うが笑)一度は目にしたことがある書名だ。

稀覯本に興奮して冷静さを失うあたりはこれを読んでいるミステリファンたちにも通ずるものがあるだろう。飛鳥部勝則などなど、見つけたら興奮するミステリは数多にある。元々はこの『スノウブラインド』だってそういった稀覯本の一つだったのだ。

そして個人的な話だが、古典心理学や精神分析学、魔女にも興味があって初歩的な知識は持っていたので非常に楽しめた。中学くらいの時に出会っていたら、夷戸を目指して心理学をやっていたかもしれない(笑)

夷戸がid(イド)を元ネタにしていることに気付ける程度の浅い知識だけれど、ないよりは役立つものだ、と思ったりする。ちなみに舞城王太郎が脚本を務めるアニメの『id:INVADED イド:インヴェイデッド』もこのイドから取ったであろうタイトルで、内容はまさしく心理学のそれである。

ちなみにボロが出そうなので深くは語れないが、フロイトによる精神分析学の構造論では、イド―自我―超自我という心的構造があり、イドは人間の精神において衝動・本能を司る部分とされている。

心理学的な要素はこのシリーズの楽しい部分の一つであると言えるし、倉野さん自身の独自性の高い分野とも言えるので、今後のシリーズでも度々触れることになる。

さてキャラクターで言えば、ホラー映画を時々紹介してくる根津も魅力的だ。なかなかいい趣味だなとニヤリとする。残念ながらさほど詳しくないので詳細な元ネタは拾えていないけれど、これも倉野さんの普段のツイートなんかを見ていると、書いてて楽しかったに違いないと思う。

倉野さんは文章も非常にうまく、リズムが心地よい。
地の文のわかりやすさは衒学趣味とは相性がよく、小難しいことを大量に語る本作ではわかりやすさとリズムが強力な助けになっている。
そして、掛け合いの描写も非常に良いので、頭脳派と直感派の登場人物がうまく会話しているのが魅力だ。
夷戸と根津はまさにその代表的なキャラクターたちだろう。

トリックについても実はかなり面白い。発売当初はこの辺をクローズアップしすぎて、いまいち読んで欲しい層に届いていなかった感はあるが、それがトリックの質の低さに繋がっているわけではなくて、トリックの質自体はかなり良い。二つの叙述トリックは巧妙だし、そのうちのホーエンハイム教授の性別誤認の叙述トリックは動機やその後の展開に深く関わっていて、叙述トリックに頼り切ったミステリでは決してない。
秀美についても、さらりと情報開示してしまう潔さは脱帽する。本質をそこに置いておらず、読者にサプライズを仕掛ける起爆剤の一つとして効果的に演出していると言えるだろう。

ミステリとしての見方としては、構造論的にも面白い部分がある。
本書から特徴的な部分を引用する。

すべてのものは原初の形態、つまり無機物へと回帰する。探偵小説においては、解決篇というかりそめの緊張低減ではなく、本来の状態──〝未解決のままの渾沌とした謎〟という地点まで大きく戻らなければ、ウソだと思う。この世界は、いつだってわけのわからない謎また謎に充ち満ちているんだからね。すべての有機体が、本来の無機的状態に回帰する基本傾向、これを涅槃原則と言って、フロイトによると死の本能はこの原則に従っているんだ。

人間の手によって産み出された探偵小説も、ひとつの芸術的有機体としての生命を持つならば、謎から解決へと直線的に進むのではなく、さっきも言ったように、謎からまた謎へと円還しなければならない。これが探偵小説にあるべき、究極の涅槃原則だよ。すべてが直線的に進まねばならないというのは、近代的思考の誤謬以外の何ものでもないよ

このあたりの探偵小説への考え方は共感する人も多いはず。これが『スノウブラインド』でやりたかったことなのではないだろうか?
まさに竹本健治の『匣の中の失楽』や麻耶雄嵩の『夏と冬の奏鳴曲』などがそうだが、謎と謎の円環こそがミステリの本質というのは面白い考え方で、同時に本書でまさにメタ的な構造と時間遡行を組み合わせてこれをやっているのが凄い。
夷戸に語らせたミステリの本質論は、作者によってメタ的にこの作品自体に持ち込まれている。
僕がこの作品が好きなのはこういった洒落た美しい構造に魅力を感じたからでもある。

さらに、倉野ミステリにおける「推理」や「解決」は非常に面白い独自性を持っている。
これも引用になるが、作中で夷戸はこう語る。

これは僕の所信表明なんだ。こういった考え方は、探偵小説にも通じるんじゃないかと思うんだ。つまりだ、探偵小説における推理というのは、探偵が構築するひとつの物語に過ぎない、ってね。小栗虫太郎が創造した探偵法水麟太郎は、乱歩的に言えば、怪奇心理学・怪奇薬物学・怪奇医学などを駆使して、事件を推理していくわけだ。だが、法水の推理が正しいという保証はどこにある?主観一辺倒のトンデモナイ推理だよ。怪奇な諸学問に通じた法水が、己の該博な知識を犯罪へと投入して事件を了解し、ひとつの解釈を導き出したに過ぎない。おそらく、異なる人物が黒死館事件を推理すれば、違った〝真相〟を見出し、違った犯人を挙げていただろう。かといって、法水の推理が間違いだってことじゃない。まさに探偵の推理とは、分析場面でのセラピストの解釈という物語と同じように、犯罪を了解し、事件を再構成するための、ひとつの物語に過ぎないのさ。で、要するに、僕も今から探偵役を務めるわけだけど、僕は自分の持つ知識から導きだされた仮定を投入して、この一連の事件に了解操作を行ってみたって言いたいんだ

これは、狙ってかどうかは微妙だが「後期クイーン的問題」の一つの解決かもしれない。解決というよりは解釈のずらしなのだが、このずらしこそ、「変格」ということなのではないだろうか。
本格の呪縛である「探偵の答が真実であると作中の論理では証明できない(黒幕の存在を否定できない)」という問題に対して、夷戸はそもそも真実を提示しない。

倉野ミステリにはロジックミステリに不可欠な「証拠」に関する要素がいい塩梅で欠けている。しかし決して作者の力量不足で言及されないわけではない。あえての証拠の少なさが、推理合戦を混迷させ、同時に読者に対しても解釈の幅と謎の余地を広げている。
夷戸は一人の解釈者であり、了解操作をしたに過ぎない。それは主観であり、一つの物語である。
それは、このミステリがいわゆる「夢オチ」であってもそれ自体に意味があることであるという証明であるし、これを読む読者の切り取った物語がひとつずつ価値のある解釈であるということだ。
それが許されていて、倉野さんのミステリでは決してタブーではない。

個人的には、エピローグで語られる「本当の蝙蝠館での惨劇の顛末」の中にすら未解決の謎を仕込むあたりはめちゃくちゃ好みで、もはやこの無限構造の観測者として永遠にこの作品を読み続けたいほど。あえてやらなくてもいい要素のはずだが、それをやってしまうのが大好きなところ。

物語の前半は吹雪の館と奇妙な住人、そして起こる殺人事件、とオーソドックスな古典ミステリの体裁を取る。しかし次第に歪み始める世界観は読者を「浮遊」させる。読者の違和感はなかなか正体を掴ませない。結末はトリックと物語がしっかり有機的に結びついているので、唐突な終わり方には感じない。物語全体に施された技巧と構成美は、切り捨て難い引っかかりとなって読後も心を騒つかせる。

僕は自分自身でも創作をする。そのときに決めているのは、自分の読みたいものを書くということ。だから、僕は好きな小説を思い浮かべるときに自分の作品も浮かぶ。自分の好きなものを自分の技術を最大限使って書くから。
そういう創作感覚でいるからこそ、自分が書きたいけど技術的に今はまだ書けないというプロの作品に出会ったときに感動する。例えば『匣の中の失楽』とか『眩暈を愛して夢を見よ』とか。
そして『スノウブラインド』はまさにそういう作品だ。
自分の作風の延長線上で、やりたいことをやってくれた紛れもないプロの作品がこの新変格ミステリだ。

 

 

【心理探偵・夷戸シリーズ】倉野憲比古『スノウブラインド』『墓地裏の家』『弔い月の下にて』レビュー

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どうも、らきむぼんです。

今回は、倉野憲比古さんの『スノウブラインド』『墓地裏の家』そして、2021年発売の新作『弔い月の下にて』を紹介します。
この3作は心理探偵・夷戸シリーズとなっています。

この記事はネタバレなしとなっています。

ネタバレを含む感想・解説は、この記事にあるリンクから、それぞれ読むことができます。ネタバレの方が力を入れて書いていますので、既読の方はぜひご覧ください。

x0raki.hatenablog.com

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倉野憲比古さんがどんな作家さんかについては別の記事を用意しましたので、そちらをご参照ください。

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You Tubeにて動画での紹介と解説も行っています。

声での説明で大丈夫な方は長いですがブログよりも詳しく説明しています。


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目次

 

変格とは?

倉野憲比古さんの作風については、別の記事でも語っているが、一言で言えば、変格ミステリ小説と怪奇幻想ミステリの書き手である。

それを踏まえて、手に取らないことには評価も難しいというもの。

実際に、新本格のような煽り文句で発売した『スノウブラインド』は読者の多くから「思っていたものと違う」という反応を受けた部分があり、読みたい層に届かなかった不遇な作品でもある。

では著者の得意とする「変格」とは何か?

これには歴史があり、一言では言えない奥深さがあるのだが、言ってみればタクソノミー的に説明されるのが一番しっくりくるだろう。

ただし、断っておきたいのは「アンチミステリ」と同様、あまり定義づけするとうまくいかなくなる暴走しがちな部類の言葉であるということだ。

戦前の「変格」について、竹本健治氏が語っている(スレッドあり)。

かつてはミステリの他にも怪奇幻想やエログロなんかもまとめて「探偵小説」とされていた。これに不都合を感じた甲賀三郎が論理やトリック中心のものを「本格」とし、それ以外を「変格」としたらしい。

竹本さんの指摘で面白いのは、江戸川乱歩の作品を、「変格」を提唱した人たちも「変格」であると判定しただろう、という点だ。

乱歩の作品=非「本格」=変格が日本のミステリの下地となったことは本邦のミステリの系譜において興味深いところだろう。

さて、倉野憲比古さんは、そんな変格を堂々と書ききる作家だ。

それは乱歩の古き良き幻想怪奇の世界を現代に蘇らせた「新変格」かもしれない。

『スノウブラインド』はそんな変格探偵小説の一つとして、名を刻んだ。

 

『スノウブラインド』 

現代の奇書か、アンチミステリーか、唾棄すべきダメミスか?
〈新変格探偵小説〉の旗を高々と掲げた瞠目のデビュー作

R大学史学科のホーエンハイム教授は自らの退官記念にゼミ生たちを軽井沢近郊の狗神窪にある邸宅に招待した。
だが、豪雪に降り込められた邸宅の中で、使用人のフリッツが惨殺されたのを皮切りに次々と殺人が。
心理学を専攻する学生・夷戸武比古(いどたけひこ)は謎を解明するため、必死の探索を始めるが……。

典型的な「吹雪の山荘」シチュエーションで進む物語が、やがて奇怪な歪みを孕み始め二転三転、ついに驚愕のフィナーレへ。
本格ミステリとホラーの2つの要素を巧みに操り、謎と恐怖のタペストリーを描いたデビュー作。

不気味な伝承の残る土地に血塗られた歴史のある館。ドイツ現代史の権威ホーエンハイム教授の邸宅、蝙蝠館に招待されたゼミ生達は、吹雪で外に出られない状況で、殺人事件に巻き込まれる。

このあらすじを読んだだけで僕は自分の好みであることを確信したのだが、変格と言いながら、これって本格とか新本格の骨格じゃない?

と思うかもしれない。

確かに、クローズドサークルと館、そして殺人事件。

まさに本格なのだが、倉野ミステリの面白いところは、それが素直に本格の展開に落ち着くとは限らないというところ。

さて、三大奇書に通じる衒学趣味と酩酊感は、その筋の愛好家には大好物だろう。作中でも夢野久作の『ドグラ・マグラ』や小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』に触れており、明確に三大奇書を意識している。特に初期乱歩や夢野久作へのオマージュ感は重厚な演出として舞台を作り上げている。

フロイト精神分析が物語の非常に大きなポイントとして扱われている点も好きな点だった。しかもそれがナチス魔女裁判にまで関連するとは面白い。魔女についての知識や今や古文書と言っていい『魔女に与える鉄槌』なんかにも言及する主人公がなかなかいい。古典心理学も魔女も興味があって初歩的な知識は持っていたので非常に楽しめた。

衒学的な部分を楽しむ、難しい小説ではあるが、三大奇書のような読みにくさはなく、倉野さんの巧みな文章は、テンポよくペダンチックな物語を進行してくれる。

『スノウブラインド』は他のシリーズ作品よりも雰囲気がピリついていて、緊張感があるのだが、異常心理なども相まって、雰囲気は抜群だ。

ホラー映画を時々紹介してくる登場人物・根津も魅力的だ。不気味に展開する物語はホラー映画の持つ雰囲気とマッチしていて、倉野さんの趣味が生きている部分だろう。

物語の前半は吹雪の館と奇妙な住人、そして起こる殺人事件、とオーソドックスな古典ミステリの体裁を取る。しかし次第に歪み始める世界観は読者を「浮遊」させる。読者の違和感はなかなか正体を掴ませない。結末は一見地味ではあるものの、物語全体に施された技巧と構成美は、切り捨て難い引っかかりとなって読後も心を騒つかせる。

美しい構造と詩的な物語の閉じ方も、ぜひ手に取って味わってほしい。

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『墓地裏の家』

新変格の無人の荒野を突き進む、シリーズ第二作!
吸血鬼が棲む館で血塗られた惨劇が。怪奇幻想ミステリー

東京・雑司が谷の墓地裏に教会を構える神霊壽血教は吸血鬼・ストリゴイを崇拝する異端の新興宗教
「教主の様子がおかしい」との妻からの相談を受け、心理学を学ぶ大学院生・夷戸武比古(いどたけひこ)は教会を訪れる。
あらゆる用事を放り出して、ひたすら近所にできた観覧車に見入る教主・印南尊血に戸惑う夷戸。
やがて教主の娘が密室で死に(自死か殺人か?)、惨劇の幕が開く。
果たしてそれは教会に棲む吸血鬼の仕業なのか?

本格ミステリと怪奇幻想ホラーがせめぎ合う、賛否両論の異色作。

雑司ヶ谷霊園の裏に教会を構える神霊壽血教。教主の妻からの相談を受け心理学を学ぶ夷戸武比古は教会を訪れる。観覧車に憑かれた教主に、密室で変死するその娘。吸血神ストリゴイを崇拝する小さな宗教団体を巡る謎に精神分析学で挑む。

と、これまた本格を匂わしているが、その実は変格ミステリ

前作に続き、推理合戦と衒学趣味が炸裂して楽しい。

賛否両論とあるが、『スノウブラインド』と比較すれば、実際はこちらのほうが安定して好まれている印象がある。たとえば、奇書やアンチミステリ、変格、衒学趣味、といった言葉から連想されるようなものを好む僕のような読者ならば、圧倒的に『スノウブラインド』の評価は高い。

しかし、『墓地裏の家』はそういった特殊な趣味の人でなくても、より読みやすく、よりライトに、より入りやすく作られていると思う。

「探偵」役の三人のキャラの掛け合いがとても良く、前作でどこか暗い雰囲気が漂っていた夷戸の人間らしい部分もより色濃くなっている。

彼らが三様の解釈をしていくのも本作の見所だ。

舞台となる印南家にまつわる歴史や呪い染みた雰囲気は、乱歩のアングラ感を感じるが、それが都会からほど近い下町の墓地裏で異彩を放っているのも良い。

吸血神というガジェットもいかにも怪奇幻想と言ったところで、それらと古典的な探偵小説のガジェットは妙にマッチしている。

前作に引き続き、このシリーズならではの「了解」という推理方法は、新しい変格の一つの表現方法として着目したい点だ。

倉野さんの趣味と心理学の専門家としての表現が、「変格探偵小説」を現代を舞台に切り開いていくのを感じる一作だろう。

ラストに待ち受ける展開は、3人のキャラクターのちょっとした青春のような関係性が導く詩的な結末だ。

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『弔い月の下にて』

目羅博士でも真相は見抜けまい。
大乱歩が読んだら、どれだけ喜んだことだろう。
――春日武彦精神科医)推薦!

心理学を専攻する大学院生の夷戸と彼の先輩の根津、ふたりの行きつけの喫茶店のマスターの美菜は三人で壱岐に旅行にやってきた。
根津の提案でボートを借り、かつて隠れキリシタンの島民が大量死したという曰くある島「弔月島(ちょうげつとう)」の見物に出かける三人。島にはキリシタンの末裔である富豪が築いた奇妙な館・淆亂館(ばべるかん)が残っていた。
上陸した三人は、「館の使用人」を名乗る獰猛な男たちに拉致され、館に軟禁される。そこにいたのは、有名な劇団のメンバーたちとゴシップ記者。淆亂館の主は、彼ら全員と因縁のある、十年前に失踪した「伝説の俳優」なのだと言うが……
謎の黒衣の男が跋扈し、次々と起こる謎めいた殺人。作者渾身のシリーズ第三作は、異常なロジックと奇矯なトリックが炸裂する傑作変格ミステリ

◆<著者のことば>
 前作『墓地裏の家』の刊行から十年が経ってしまった。しかし『弔い月の下にて』には、謎の使用人、異常心理学、宗教、怪奇趣味etc.と、私の趣味嗜好のすべてを注力したと言っても過言ではない。本作は変格探偵小説なのか? はたまた異形の本格なのか? 読者諸賢の御判断に委ねたいと思う。

この作品は僕や、僕の所属するミス研「シャカミス」にとっては待望の一作となった。

そうなった経緯は別の記事で語っているが、著者である倉野憲比古さんにとっても熱いドラマがあったに違いない。

さて、本作はあらすじの通り、またも本格のガジェットが大いに揃った作品だ。

しかし著者は「本作は変格探偵小説なのか? はたまた異形の本格なのか? 読者諸賢の御判断に委ねたいと思う。」と語る。

いままでの変格探偵小説とは違う趣向が見られるのだろうか?

そういった視点で読んでいくのが楽しい作品だ。

10年ぶりの再デビュー作ともいえるこの作品は、登場人物こそ前作にお馴染みの三人だが、シリーズの要素を知らずとも単体で読むことができる。

一方で、複雑なバックグラウンドはおそらく意図的に削がれており、むしろこの三人が何者なのかがわからない可能性はある。

もしこの作品から倉野作品に入った読者は、シリーズ前二作を読んで『スノウブラインド』の衝撃と『墓地裏の家』での三人の物語を追いかけてみてほしい。

物語としては冒頭から惹き込まれる内容で、ここはさすが地の文と掛け合いが抜群にうまい倉野さんだなと思ってしまう。

作者の趣味も盛り込まれていて面白い。

全体のページ数としては、事件が起きるまでが長いはずなのだが、その感覚がないのが見事だ。

今作では、前作の衒学趣味はやや抑えめで、かなり物語が重厚な、それこそ古き良き本格の雰囲気すらある作品となっている。

登場人物たちの抱える愛憎や、病理、そして思惑がうまく描かれていて、謎が次第に歪な形の「解釈」へと了解されていく様は倉野ミステリの真骨頂であり、面白い。

本音を言えば『スノウブラインド』派はもっと癖のあるド変格なミステリを読んでみたい!という思いもあり、『墓地裏の家』派の人の方が今回は楽しめたんじゃないかな、と思う。とはいえ、読書会でミス研の意見を聞くと「スノブラが一作目にしては破壊力がありすぎたのでは」という声も(笑)

裏を返せば変化球の癖が強すぎてヒットする層が狭まるような要素がなく、真っ当に、小説として、物語そのものが面白い、そんな作品だ。

倉野さんの小説や、変格ミステリの入門としてこれ以上に相応しい作品も少ないのではないだろうか。

そして今回は謎の解決からラストシーンまでも、一つの見所となっている。

シリーズにお馴染みの「了解操作」による事件の解釈、そしてその奥に存在するもの…………

変格探偵小説か異形の本格か。

まさにそんなテーマを常に突きつけられながら楽しんだ作品だった。

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倉野憲比古さんとの縁

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こんにちは、らきむぼんです。

Twitterやミス研では散々表明してきた、大好きな作品である『スノウブラインド』を始めとする倉野憲比古作品なのですが、明文化してこなかったので、いよいよブログに記事を書こうと思います。

その前に、僕やシャカミスと倉野憲比古さんの不思議な縁について、お話したいと思います。

x0raki.hatenablog.com

 

まず、倉野憲比古さんがどんな作家さんなのか、紹介したいと思います。

Wikipediaによると、

倉野憲比古
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

倉野 憲比古(くらの のりひこ、1974年 -)は日本の推理作家。福岡県大野城市生まれ。大学院では心理学専攻修士課程を修了した。

2008年6月、長編ミステリ『スノウブラインド』でデビューした。この作品は、吹雪の山荘で学生たちが殺人事件に巻き込まれるという典型的なクローズド・サークルものにひねりを加えたもので、「初期乱歩、夢野久作、水上呂理といった古典的な心理学的探偵小説諸作にオマージュを捧げよう」という気持ちで執筆したものだという(南雲堂『本格ミステリー・ワールド2009』「デビュー作家 私の履歴書」参照)。

倉野さんは心理学の専門家で、ミステリにおいても心理学が非常に大きい影響を及ぼしています。それは本格ミステリのロジックの範囲内からは外れるほどの幻想怪奇な色も持っていて、それを以てして倉野さんの作品は「変格」やそれが現代にアップデートされた「新変格」とも呼ばれています。

さて、実は倉野さんと僕や僕の所属するミステリ研究会とは、奇妙な縁で繋がっています。

倉野さんは2008年に『スノウブラインド』でデビューし、2011年に『墓地裏の家』という続編を出しています。
2008年や2011年というと、僕たちが所属するミス研「シャカミス」の設立よりも前で、当時学生だったメンバーも多い。もしかすると、その時点ではミステリを読み始めていなかった人も多いかもしれません。

当時の評価は、正直なところそこまで良いものではなかったように、あとから調べると思わざるを得ません。
しかし、どうやらその背景には不遇なものがあり、現在は一定の評価を得ているのではないでしょうか。

その不遇さについてはここで深く触れてもしょうがないのだけれど、簡単に言えば「帯などの売り文句と内容が乖離していた」「現在では新変格と呼ばれる内容に即した言葉がなかった」「現在では広く認められそうな作風が当時のメインストリームにはうまくはまらなかった」などなど、考え得ることは多くある。
一言で言えば「早すぎた」といったところだろうか。

さて、長編はそこから刊行されていない状態だったのだけれど、いくつかの偶然が重なり、我がミス研シャカミス内では特別な作家さんの一人となっていきます。


時系列で言えば、当時の非会員であり現在の会員の一人である青さんという方が当時のミステリ界隈の一人から『スノウブラインド』を紹介され、2019年3月30日に感想を投下します。
この感想は現在も見ることができ、とても良いのでぜひぜひ読んでほしいと思います。

reza8823.hatenablog.com

その感想の投下から数日遡った頃、会員の窓辺さんという方が「らきさんが読んでそう」という感じで『スノウブラインド』を僕に紹介してくれました。
これも偶然性が高く、ミス研の定例会で深夜まで残っていたメンバー数名で「次にオフ会(毎年冬に開催していた)は山が良いですね」等と話しているうちに、冬の山といえばということで「タイトルに雪のつくミステリ」の話になったのがきっかけです。

この話題の飛び方もミス研らしくて好きなのだけれど(笑)、そこで名前が上がったのがこの作品だったのです。


ただその頃は僕はこの作品を知っておらず、あらすじを見て「確かにこれを僕が未読なのは不自然なほどに僕が好きそうだなぁ」と思った記憶があります。
窓辺さんの紹介してくれたミステリはどれも面白く、信頼していたので、僕はその場ですぐ『スノウブラインド』の購入を決めました。
ちなみに、当時は絶版だったため、中古を購入したのだが、後述する経緯で電子版をあとから購入しました。


青さんが2019年3月30日に感想を投下した次の日、僕が『スノウブラインド』を読み始めました。
感想は後ほど語るのだけれど、僕は一部の界隈では「奇書好き」だと知られている。
三大奇書や黒い水緒の系譜、衒学趣味と怪奇幻想の世界、そういったものが大好きで、宗教が絡んでいるものも好んでいます。
そして同時に、アンチミステリと呼ばれることが多い分野や、本格の枠組みを破壊する実験的・挑戦的なミステリも好物です。
そういった僕の趣味趣向と、今回紹介する『スノウブラインド』は完璧に合致しました。


そしてあまりに感動したので、ミス研内でも「めちゃくちゃ良かった」と宣伝することになります。
これが後に面白いことになっていきます。


*ちなみにこの頃は、作者の倉野さんとは交流がなかったので、おそらく急に感想が増えて驚かれたかと思います(笑)
僕がシャカミスでおすすめしだした頃は、実はあまりご本人も作家としての活動をされておらず、妙な話題の出し方をしてしまった気がしています。
あまりいい紹介をした記憶がないので(後述)、大変申し訳なかったのですが、ある意味ここが倉野さんの活躍を追いかけるきっかけだった気がします。

僕が『スノウブラインド』に甚く感動した後、他の作品も読みたいということでネットを漁っていると、今も読めるご本人のブログがあり、プロフィールには「昔、物書きをしていました。パンクな高等遊民です。」とあり、今思うと倉野さんらしくて好きなのだけれど、当時は「引退してしまったのか~。こんな面白いのに!」とどこか悲しい感想を抱いた記憶があります。

jagdpanzer666.blogspot.com


そして大変失礼なことに、「作品はめっちゃよかったんだけど今はめちゃくちゃ悲しいプロフィール文の作家さんで」などと話題に出した気がする。
そしてその頃に「じゃあシャカミスで応援しようぜ!」みたいな悪ノリでその場にいた5名ほどが急に倉野さんのTwitterをフォローするということがありました。
当時全く交流がなかったので、大変驚かれたと思います。本当にごめんなさい(笑)

その後、集会のごとに僕が押しまくっていたせいか、年が明けて2020年2月の関東支部のオフ会にて、その場にいた数名がどんどん『スノウブラインド』を購入する謎のノリが発生します。


それから感想もシャカミスメンバーを中心に増えていき、発売当時読んでいたミステリ読みたちも「今思うとすごかったよね」というような感想をつぶやいたりと、ちょっとした話題になっていく。


そんな中で、おそらく倉野さんがご自身の著作への熱いツイートを見ていただき、それを再度売り込んでいただいたことで、『スノウブラインド』『墓地裏の家』が電子化に至りました。
2020年3月、原則改訂のない電子にもかかわらず、倉野さんの熱意で手直しの許可がおり、新たなキャッチコピー「新変格」とともに電子版が発売決定となる。
そして同年の7月に2作が発売された。

時を同じくしてミス研シャカミスでは、「シャカミスがなにか役に立ったかどうかはわからないけれど、会員が応援していたのは事実だし、電子化に合わせて読書会をやろう!」という話に。

これがまた多くの会員が倉野作品を読むきっかけになりました。

同年8月にはあの『匣の中の失楽』でも有名な竹本健治さんの目にも留まり、このときの交流は後に「変格ミステリ作家クラブ」の設立という大きな流れにも発展していく。

その後、2020年10月11日(日)、シャカミスにて倉野憲比古『スノウブラインド』『墓地裏の家』の読書会が行われました。
この様子はシャカミスのYou Tubeチャンネルにて公開される予定です。


そしてついに、2021年12月に10年ぶりの新作『弔い月の下にて』が発売となる。
実際に本屋で目にしたときは、応援してきた作家さんの復活を目にして感動を覚えた。

出版社は変わりましたが、前から名前は倉野さんのツイートに散見していた『弔い月の下にて』。

応援してきたシャカミスももちろん呼応するように読書会を開催しました。

この様子もシャカミスのYou Tubeチャンネルにて公開される予定です。

さて、ここまで倉野さんとシャカミスの縁を語ってきましたが、だからといってシャカミスも僕も作品の評価に私情は挟んでいません。

白熱した感想戦の様子は、ぜひぜひ公開される動画でご確認ください。

僕個人の感想も、記事を投稿していきますので、読んでいただけると嬉しいです。

x0raki.hatenablog.com

 

おまけ

ちなみにですが倉野さんのお祖父様が、国文学者の倉野憲司さんだと知って大変驚きました。

なぜなら僕は大学時代倉野憲司さん校訂の『古事記』を研究で使っていたからです。

そんな縁もあるのか、と思わされました。

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