哲学のプロムナード(ΦωΦ)黒猫堂

推理小説やSFのレビュー・書評・ネタバレ解説・考察などをやっています。時々創作小説の広報や近況報告もします。

麻耶雄嵩 『隻眼の少女』 レビュー/後半でネタバレ

 

隻眼の少女 (文春文庫)

隻眼の少女 (文春文庫)

 

  

目次

 

 隻眼の少女

山深き寒村で、大学生の種田静馬は、少女の首切り事件に巻き込まれる。犯人と疑われた静馬を見事な推理で救ったのは、隻眼の少女探偵・御陵みかげ。静馬はみかげとともに連続殺人事件を解決するが、18年後に再び惨劇が…。日本推理作家協会賞本格ミステリ大賞をダブル受賞した、超絶ミステリの決定版。
 

レビュー

 

この小説は麻耶作品の中では比較的読後感がライトなものだといえると思う。

 初心者向けの麻耶作品を挙げるなら多くの麻耶ファンはこの『隻眼の少女』と『螢』を挙げるようだが確かに読後の衝撃の度合いとしては入門編的内容かもしれない。

とはいえ、別段この小説が麻耶作品の特徴の公倍数から外れているわけではない、もちろん『螢』も。麻耶作品としては初心者向けかもしれないがそれはミステリ初心者向きという事にはならず、やはりミステリ初心者で麻耶作品未読ということなら初読は『螢』だろう。

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この『隻眼の少女』はミステリ初心者だと全てを理解するのにやや難解さが残る。

長編はほとんど強烈なカタストロフによって強烈な印象を残す麻耶雄嵩の小説の中では、『隻眼の少女』は一見するとライトで受け入れやすい本格モノ風の進み方をする。
ミステリとして非常に読みやすく、キャラクターも狙いすぎな感もあるほどの漫画・アニメ的特徴を備えている。
ただしここには幾つかの罠が当然仕掛けてある。麻耶雄嵩の作品が普通に落ち着くなんてことはまずあり得ない。

 

もし麻耶雄嵩の作風について詳しく知りたい方がいたら先にこちらの記事を覗いてみて欲しい。作品のネタバレはしていません。

x0raki.hatenablog.com

 まずは「意外な展開」だろう。正直ミステリファンからするとこの小説の面白さは「まったくそこじゃない」のだけれど、ミステリファンではない人やたまにしかミステリを読まない人からしたらこの「意外な展開」は本格風の物語の進行から一気に魅力的に惹きつけるポイントだと思う。

そして次に麻耶特有のアンチミステリ的要素。ミステリファンならおそらくこっちがメインだろう。さあ、今回のテーマはどの枠組みに「問いかける」ものなのか、楽しみにしていいと思う。この点でこの小説は絶大な価値を持っている。

物語は二部構成だ。
スガル様という現人神が崇められる村の名家で連続殺人が起こるという、本格推理的な舞台設定で、種田静馬という主人公(語り手)とで探偵の御陵みかげが、探偵と助手として事件に挑むストーリーである。
そしてその事件が解決してから18年後、非常に印象深い結末に向けて再び殺人事件が起こる。

テーマは「探偵とその推理」であり、ミステリ読みなら一度は考えることになる、「探偵」についてのある懐疑を物語の軸に据えている。この小説では読者の推理や犯人当てはほとんど意味が無いのであるが、それでも犯人を当てるつもりで本気で突き詰めていくと体感的にミステリの根幹的問題点に行き当たって面白いのかもしれない。


ネタバレの方に詳細は書くけれど、この小説は浅く読むか深く読むかで評価が二分しやすい。もちろん「しやすい」というだけで必ずそうなるわけではないけれど、深く読むと興味深いのだが表面的に読むとやや苦しい部分があるのは否めない。
どうせなら深く読めるよう「ある問題」について念頭に置いて読むのがいいと思う。ある意味ネタバレなので、もしネタバレを懸念する方はリンクは開かないで読んで欲しいけれど、犯人やトリックが書いてあるというわけではないのであまり気にしない人はどうぞリンク先のWikipediaで予習してみて欲しい。

本音を言ってしまえばこの小説はここまで非難されるものではないと思っている。トリックが非現実的だとか、犯人当てのトリックありきで書かれただけだとか、色々言われているがよく考えて欲しいのはそんなことくらい作者が解らないはずがないだろうということだ。
そしてその先にある真意、この小説の意図をしっかり読めば決して前述の非難点がミスとして書かれたのではなく「わざと」書かれているものだと理解できるはずなのだ。そうすれば少なくとも安易に批判的になる人は減って、批判するにしてももっと高尚な評価がされるんじゃないだろうか。

個人的には、この小説は傑作だと思っている。
探偵小説に対する非常に重要な問題提起が成されているある意味正当すぎるくらいの「本格」だと思う。
日本推理作家協会賞本格ミステリ大賞のダブル受賞はその点が考慮されてのことだろうし、ミステリ読みじゃない人が批判するのはまだしも、ミステリ読みがかなり多く真意に辿り着いていないのが少々哀しい作品かもしれない。

 

さて、この下ではネタバレで詳細を語りたいと思う。

 

隻眼の少女 (文春文庫)

隻眼の少女 (文春文庫)

 

 

螢 (幻冬舎文庫)

螢 (幻冬舎文庫)

 

 

ネタバレ

 

さてここからはネタバレ。

 

 

 Amazonレビューにも書いたのだけれど、この小説において犯人を読み当てることも推理がトンデモなこともあまり意味が無い。そこがメインの小説じゃないし、むしろメインとして在るのは後期クイーン的問題に対する積極的なアプローチなのだから、そこまで読めているかどうかで「こんなの反則だろくだらない」とか「探偵の推理への問題提起が真正面から行われていて興味深かった」とか賛否が極端に二分しやすい。もちろん深く読んだ上で受け付けない人もその逆もあり得るのだけれど、折角なら「探偵の推理への信憑性」と「誰でも犯人にできる手掛かり群」に着目したほうがいいんじゃないだろうか。

どういうことかというと、この小説はいくつかの探偵小説の猜疑点を浮き彫りにしていて、それがメインの小説だということ。決して犯人が探偵であることを殊更ウリにした作品ではないし、腹話術や影武者のようなトンデモトリックに頼ってしまった駄作であるということでもない。少なくともこの辺りを根拠にした評価は僕はあまり支持できないところだ。多少の同意はあるけれど。

後期クイーン的問題への非常に綿密な取り組みが成されている点こそ、この小説の最も面白いところで、まあもし非難するならば、トリックをもっと現実的な内容にしてもこのメインテーマは維持できたんじゃないかというところだろう。
ただあえて荒唐無稽なトリックにすることで「この推理は用意された解答の一つなのではないか」と疑わせる効果があったと思うので、やはり麻耶雄嵩らしさという点では正解ではないだろうか。
おそらく二代目みかげは「スガル様以外の人物も犯人にできたのだろうから」犯人追求に対するロジックの現実性が少々杜撰なことは作者のミスではなく「演出」の一部だとするのが妥当だと思う。

ちなみに「後期クイーン的問題」は「作中で探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか作中では証明できないこと」を指すと一般的には定義されているがこの点はこの作品において非常にうまく組み込まれている。
探偵役の二代目みかげが真相だと思った推理が実は間違っており、更に推理し直した内容も結局は間違っていて、その間違いが探偵=犯人という構図による自作自演であったのだから非常に皮肉的にこの問題を活かしている。

更に後期クイーン的問題が活かされている点は、「探偵という存在が事件を産んでしまっている点」である。本来事件を解決する立場の探偵が、事件に介入することによって、新たに事件が起きてしまうことに対する責任が後期クイーン的問題の2点目の問題として挙げられるが、この小説『隻眼の少女』ではまさに「御陵みかげ」という名探偵を創りだすために余りに多くの犯罪が行われている。ここにも壮絶な皮肉が用意されていて非常に面白い。

内容的にも非常にロジカルで、かなり綿密に後期クイーン的問題に立ち向かっている事が判る。
冒頭の首無し死体へのロジックは印象としては探偵の探偵らしさを非常に際立たせている。

だがまず前提としてこの作品において正義の探偵はとりあえずかなり後半まで登場しないので、このあたりは犯人の秀逸さの演出とも言える。
犯人は多すぎる偽の手掛かりで探偵を翻弄する。ここが面白いところで、自作自演ではあるがそれが明かされる前としてはかなり細かな読み合いが犯人と探偵の間に起こる。
探偵は手掛かりが完全に真であると保証できず、またそれに基づいた如何なる推理も真であるとは論理的には証明できない。あくまでも「名探偵(犯人)が定義するから正しい推理でありただ一人の犯人」なのである。つまりここで前述の皮肉が非常に効いてくる。
「名探偵(犯人)が言えば(自白すれば)事実じゃないことも真実なのだ」ということ。

しかしなんとも面白いのは、数多くの手掛かりをばら撒き、それが正しい手掛かりなのか犯人の誘導するミスリードなのか探偵を苦悩させ消耗させて、それでも間違った手掛かりを排除しきってようやくたどり着いた真相すらが、そもそも探偵による自作自演だったというのは行き過ぎなくらいの皮肉であり、麻耶雄嵩の本領発揮というべきところだろう。
腹話術やオコジョ、影武者は演出として少々やり過ぎな感はあるが、「自作自演」の演出としてはジワジワと効き目はある、ここは賛否あるとこではあるだろう。萎える人はここで一気に萎えてしまう。

18年後の事件もまた目眩のするような結末である。
『夏と冬の奏鳴曲』のような世界がガラガラと音を立てて崩壊するような感覚はないがそれでも不気味さの残る演出だろう。

探偵が犯人であるという「真の真相」に至るための三代目御陵みかげは、これまた存在自体にやや不穏な気配のある存在であるが、探偵として正義の役が用意されている。

ただ皮肉なのは、二代目みかげがスガル様(これもみかげであるが)との会話で作り上げた推理に対して三代目みかげが疑問を投げかけ、最後には看破して二代目を犯人として糾弾しているものの、その一部は二代目の誘導であったという点だろう。結局犯人に助けられてしまっている点では探偵はこの作品において「敗北」の役割ということである。ただし「名探偵御陵みかげ」としては勝利なのだが。

ちなみに三代目みかげの存在に不穏な影があると書いたのは二代目みかげと岩倉辰彦との「空白の二時間」があるからだ。しかもそのあとみかげの身なりが整っているあたりがますます怪しい。また三代目みかげにとっての祖父山科と同じような狂気が種田静馬にも生じた可能性を地味に匂わせているのも面白い。ただの偶然かもしれないが。
また山科が解決できなかった事件というのも、岩倉に対しての幾つかの伏線と同様に回収されていない。このあたりはやはりわざと回収していないのだろう。作者なら気づかず放り投げてハイ終了ということがあるとも思えない。
やはり、この小説は探偵の語る真実になんの信憑性もない。三代目みかげの存在を得るために岩倉を保険にした可能性はあるしもしかすると父親は静馬ではなく岩倉かもしれない、他にも第一部の事件には誰を犯人にすることも可能なんじゃないかというくらい手掛かりとアリバイが曖昧に作られている。「探偵の推理」次第では別の物語も創出されるのではないだろうか。

結局真相はわからないというのがこの物語の正しいあり方かもしれない。それが探偵小説の問題点であって、この小説の面白さであり解答ともいえる。

翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件 (講談社文庫)

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夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)

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