哲学のプロムナード(ΦωΦ)黒猫堂

推理小説やSFのレビュー・書評・ネタバレ解説・考察などをやっています。時々創作小説の広報や近況報告もします。

アガサ・クリスティー 『アクロイド殺し』 レビュー・解説/後半でネタバレ解説あり

 

目次

 

 

今回はクリスティーの『アクロイド殺し』です。

 

アクロイド殺し

 

 

深夜の電話に駆けつけたシェパード医師が見たのは、村の名士アクロイド氏の変わり果てた姿。容疑者である氏の甥が行方をくらませ、事件は早くも迷宮入りの様相を呈し始めた。だが、村に越してきた変人が名探偵ポアロと判明し、局面は新たな展開を…驚愕の真相でミステリ界に大きな波紋を投じた名作が新訳で登場。


レビュー


いやあ、面白かった。

 

本作『アクロイド殺し』は原題『The Murder of Roger Ackroyd』で、色々タイトルが違ったりすることが多いけれど、およそは『アクロイド殺し』であることが多くて、ハヤカワのクリスティー文庫がいいのかなとは思う。というのも他の作品も全て刊行しているので出版社を統一できる利点があるから。訳は女性が訳したものがいいと思う。

 

アガサ・クリスティーによって1926年に発表された推理小説なのだけれど、普通に現代小説と同じような感覚で読むことができるレベルに読みやすい。クリスティーといえばまず『そして誰もいなくなった』を思い浮かべると思う。僕も最初に読んだのは『そして誰もいなくなった』であって、実はこれを読んだ時かなり読みにくいなと感じた。内容は大いに満足のいく傑作だったと思うけれど、今回再びクリスティーを読もうと思うまでは、読みにくいイメージが先行してしまってなかなか手を出せなかった。


ただ実際に読んでみると羽田詩津子さんの訳が素晴らしかったのかもしれないけれど、まったく滞り無く読むことができたので早く読んでおくべきだったと思った。
というのもこの作品はなるべく早いうちに読んでおかないといつどこでネタバレに遭うかわからない作品で、ミステリファンならあとで読もうとしているうちにさらりと答えを言われてしまう可能性が非常に高い。これに関してはあとで警告付きで書くとして、とりあえずネタバレ無しでレビューしたい。

 

アクロイド殺し』は6作目の長編で、エルキュール・ポアロシリーズの3作目にあたる。同じクリスティー作品としては『そして誰もいなくなった』、ポアロシリーズでは『オリエント急行の殺人(オリエント急行殺人事件)』『ABC殺人事件』とともに推理小説史上に残る名著とされている。無論、クリスティーの代表作であり、更にこの作品に関しては人気作家として売れ始めるきっかけにあたる。勿論、フェアかアンフェアか、その内容に関してすさまじい議論を呼んだことが原因の一つでもあったとは思うが、作品の質だけを見てもなかなかに素晴らしいといえる。
特筆すべき点としては、作中に登場するキャロライン・シェパードという登場人物は、クリスティーが生んだもう一人の名探偵「ミス・マープル」の原型であると本人が語っている。

 

ストーリーわかりやすくシンプル。事件が起き、名探偵ポアロが謎を解き明かしていく、次第に登場人物が次々と容疑者に上がり、最後にはあらゆる謎の答えがたった一人の犯人を導き出すという、オーソドックスな探偵小説だ。
……といいたいところだが、議論を呼んだ「とある仕掛け」に関してはその限りではない。ただ、現代の推理小説ではしばしば行われる手法の一種ではあるし、やはりコロンブスの卵だったということかもしれない。

 

ともかく、何も知らずに読むことができれば幸運だとさえ言われているネタバレされやすい作品であることは確かだ。僕は幸いにして、ネタバレよりも早く読むことができた。結論から言うと、それでも完全にトリックや犯人を見破ることができた。ミステリファンなら前もって情報を仕入れていてなくとも注意深く読んでいくことで見破れると思う。ただだからといって作品の質が落ちるということはないんじゃないかなとは思った。見破っても、逆に面白い。

 

この作品はいわゆるホームズ役がエルキュール・ポアロ、ワトスン(ワトソン)役が町の医者であるジェームズ・シェパードである。そして被害者はタイトル通りアクロイド氏。
トリック云々を抜きにしても、シェパードとポアロが登場人物の関係性や発言の真偽、あるいは真意を探っていく様はミステリ・推理・探偵小説の独特の面白さである。
ポアロの人柄もいい。面白いし、時には少々キザであるし、紳士的であり、学者的でもある。探偵として魅力的なキャラクターであることは言うまでもない。ポアロといえば「小さな灰色の脳細胞」という言葉だが、この言葉は結構好きだったりする。
“名探偵、皆を集めて「さて…」と言い”なんて言うけれど、まさにポアロによる謎の解明はクライマックスとしてとても面白かった。
ミステリファンならポアロシリーズの最初に、ミステリ初心者なら3作目か4作目辺りに読むといいかもしれない。古典ミステリの名作として、色褪せない面白さがある。

 

さて、ここからは議論を呼んだトリックについてなど、ネタバレありで。

 

 

 追記(2015/07/26)『オリエント急行の殺人』のレビューも書きました。

x0raki.hatenablog.com

アクロイド殺し (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

アクロイド殺し (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 
ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 
そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 
オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 

 

 ネタバレ

 

ここからはネタバレ全開で。


いつものポアロ作品はワトソン役、助手兼語り手をつとめるのが、アーサー・ヘイスティングズという友人なのだけれど(いつもはと言っても毎回ではない、ただしアクロイド殺し以前の二作は確かヘイスティングズ語り)、本作はジェームズ・シェパードがそれにあたる。これはポアロが探偵仕事を引退して本作の舞台である町で隠居しているからであるが、もうひとつの理由としては、まさにシェパード医師が登場人物みんなから信頼され、いわゆる探偵やその助手役として最も適任な役回りだったからだ。
だが実はこのシェパードがとんでもない人間であったりする。何を隠そう彼がアクロイドを殺した真犯人だからだ。

 

と、勿体ぶったのだけれど、世界で一番有名な犯人の一人でもあるわけだし、特にここで勿体ぶっても仕方がない。つまり、この『アクロイド殺し』ではワトスン役=語り手=手記著者=犯人という構図になっている。ワトスン役が犯人なのは現代でもやや稀かもしれない。語り手が犯人なのは現代ではかなりありふれた叙述トリックだ。また、語り手の語りが、手記であったというパターンは探偵小説ではわりとあることで、ここが重要なポイントになっている。
というのも語り手が犯人ならすぐに分かってしまうところを、手記にすることでフェアに隠すことが出来るからだ。


レイモンド・チャンドラーだとかジュリアン・シモンズは、これを評価していたりする。僕も個人的には賛成。
一方、この仕掛けをアンフェアとしている作家としてはヴァン・ダインが挙げられる。あの有名なヴァン・ダイン。曰く「ルールの許容範囲外」とのこと。ただこれに反論する形で「騙されて悔しがっている人の意見に過ぎない」というものもあるらしい。これはまさに正鵠を射ているかな。
ちなみにヴァン・ダインといえば、推理小説を書く上での20の規則を定めている。「ヴァン・ダインの二十則*1」といえばロナルド・ノックスの「ノックスの十戒*2」とともにミステリファンのうちでは有名だ。ただこれを破っても必ずしもアンフェアとはいえないだろう。むしろそれで面白いものもある。『アクロイド殺し』はまさにその一つだ。

 

 

さて、この小説が面白いのは、この一連のトリックを見破って犯人がシェパード医師だと判っても、彼が語り手であるが故につまらなくはならないというところ。
僕はかなり序盤でシェパード医師が犯人かなと気づいた。もちろんこの時点では確証はなかった。ただ僕は一度叙述トリックでやられたことがあってそれからは常に叙述トリックに意識を向けて読むようにしている。そのおかげで伏線に気づいていた。
何が面白いかというと、シェパード医師は手記において嘘は書いていないが、自ら犯人であると判るような描写を曖昧かつ巧妙な表現で書いている。この手記は後に公表される可能性があったから彼が意図的に自らの犯行に関する描写を隠ぺいするのは当然とも言える。
僕がこの小説のトリックをフェアだとする最大の理由は以上の理由だ。当然の行為であるし、それに気づくための情報はポアロも読者も等しく与えられている。ポアロが解ける謎は読者も解ける、故にフェアであると思う。

 

しかもここが最大の魅力だしね。
ヴァン・ダインはもしかしたらこの作品が悔しくて二十則を作ったのかなぁ。

 

そういえば、これは追記なのだけれど、ラストにポアロがシェパード医師に自殺を勧めるというのもよく考えたら凄いよね。これはイマイチ意図がブレてるような気もするけれど。読者の中にはなぜ自殺を進言したのか解らないという人もいるみたい。

ポアロ曰く、ラルフの釈放には真犯人の自白が不可欠、そしてシェパード医師の姉のためにはシェパード医師は事故死に見せかけて自殺するのが良いと進言するわけだけれども、これはなかなか矛盾に近い様相を呈しているような気もする。
まずポアロが警察に真相を話し、ラルフが解放され、シェパード医師が睡眠薬で事故死したらもう真犯人が誰であったかは言わずもがなである。当然姉のキャロラインだって察するだろう。そもそもポアロはこの中に犯人がいると言っていて、その後ラルフが解放されれば誰かが自白したことになる。だが誰も代わりに捕まっておらず、ただこのタイミングでシェパード医師が事故死する。やはり無理がある。

だからこれは落とし所として、捜査の進行不可能を狙っているんだと思う。
上記のようにシェパード医師が犯人なのは明確だが、証拠はない。唯一の証拠はポアロの話した真相であるが、これは警察が止めれば世には出ない。そして警察が事故死と断定すれば、名目上自殺ではないことになる。自殺でないなら、シェパード医師が犯人だったとする根拠は単なる机上の空論となる。これによって、誰が疑いを持とうとも、真実は確定されない。よってラルフは事情を知っている警察によって無実と認定され、かつキャロラインは殺人者の家族という立場ではなくなる。たとえ心情の上で誰もが疑い、キャロラインがすべてを察したとしても、確定した事実にはならない。しかも、町のみんなはそれまで一切シェパード医師に嫌疑を向けていない。彼は殺人と脅迫以外においては、皆に慕われている善良な医師だった。「あのシェパード医師が犯人であったわけがない」といずれすべてが忘れ去られるよう、ポアロは配慮したということだろう。

と、まあこういう筋書きでなければ納得がいかないかなと思う。もしモヤモヤしている方がいたら、僕と同じような納得の仕方をする他ないかもしれない。

 

 

ちなみにこの『アクロイド殺し』におけるポアロの推理を間違いだとして別の解答を論理的に導いている本もある。

それがピエール・バイヤールさんの『アクロイドを殺したのはだれか』という本。

これは僕は未読なんだけれど、すごいな。推理小説を推理してミスを正すって……w

 別の犯人が、極めて論理的に、驚きとともに記されているそうで。

 

アクロイドを殺したのはだれか

アクロイドを殺したのはだれか

 

 

 

 

 

*1:ヴァン・ダインの二十則

 

  1. 事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。
  2. 作中の人物が仕掛けるトリック以外に、作者が読者をペテンにかけるような記述をしてはいけない。
  3. 不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出す事であり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。
  4. 探偵自身、あるいは捜査員の一人が突然犯人に急変してはいけない。これは恥知らずのペテンである。
  5. 論理的な推理によって犯人を決定しなければならない。偶然や暗合、動機のない自供によって事件を解決してはいけない。
  6. 探偵小説には、必ず探偵役が登場して、その人物の捜査と一貫した推理によって事件を解決しなければならない。
  7. 長編小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない。
  8. 占いとか心霊術、読心術などで犯罪の真相を告げてはならない。
  9. 探偵役は一人が望ましい。ひとつの事件に複数の探偵が協力し合って解決するのは推理の脈絡を分断するばかりでなく、読者に対して公平を欠く。それはまるで読者をリレーチームと競争させるようなものである。
  10. 犯人は物語の中で重要な役を演ずる人物でなくてはならない。最後の章でひょっこり登場した人物に罪を着せるのは、その作者の無能を告白するようなものである。
  11. 端役の使用人等を犯人にするのは安易な解決策である。その程度の人物が犯す犯罪ならわざわざ本に書くほどの事はない。
  12. いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならない。但し端役の共犯者がいてもよい。
  13. 冒険小説やスパイ小説なら構わないが、探偵小説では秘密結社やマフィアなどの組織に属する人物を犯人にしてはいけない。彼らは非合法な組織の保護を受けられるのでアンフェアである。
  14. 殺人の方法と、それを探偵する手段は合理的で、しかも科学的であること。空想科学的であってはいけない。例えば毒殺の場合なら、未知の毒物を使ってはいけない。
  15. 事件の真相を説く手がかりは、最後の章で探偵が犯人を指摘する前に、作者がスポーツマンシップと誠実さをもって、全て読者に提示しておかなければならない。
  16. よけいな情景描写や、わき道にそれた文学的な饒舌は省くべきである。
  17. プロの犯罪者を犯人にするのは避けること。それらは警察が日ごろ取り扱う仕事である。真に魅力ある犯罪はアマチュアによって行われる。
  18. 事件の結末を事故死とか自殺で片付けてはいけない。こんな竜頭蛇尾は読者をペテンにかけるものだ。
  19. 犯罪の動機は個人的なものがよい。国際的な陰謀とか政治的な動機はスパイ小説に属する。
  20. 自尊心(プライド)のある作家なら、次のような手法は避けるべきである。これらは既に使い古された陳腐なものである。

・犯行現場に残されたタバコの吸殻と、容疑者が吸っているタバコを比べて犯人を決める方法
・インチキな降霊術で犯人を脅して自供させる
・指紋の偽造トリック
・替え玉によるアリバイ工作
・番犬が吠えなかったので犯人はその犬に馴染みのあるものだったとわかる
・双子の替え玉トリック
・皮下注射や即死する毒薬の使用
・警官が踏み込んだ後での密室殺人
・言葉の連想テストで犯人を指摘すること
・土壇場で探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解く方法

 

*2:ノックスの十戒

 

  1. 犯人は物語の当初に登場していなければならない
  2. 探偵方法に超自然能力を用いてはならない
  3. 犯行現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない(一つ以上、とするのは誤訳)
  4. 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない
  5. 中国人を登場させてはならない (この「中国人」とは、言語や文化が余りにも違う外国人、という意味である)
  6. 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない
  7. 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
  8. 探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない
  9. “ワトスン役”は自分の判断を全て読者に知らせねばならない
  10. 双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない

 

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