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三津田信三 『首無の如き祟るもの』 レビュー/後半でネタバレ

 

首無の如き祟るもの (講談社文庫)

首無の如き祟るもの (講談社文庫)

 

 

目次 

 

 首無の如き祟るもの

奥多摩の山村、媛首村。淡首様や首無の化物など、古くから怪異の伝承が色濃き地である。三つに分かれた旧家、秘守一族、その一守家の双児の十三夜参りの日から惨劇は始まった。戦中戦後に跨る首無し殺人の謎。驚愕のどんでん返し。本格ミステリとホラーの魅力が鮮やかに迫る。「刀城言耶」シリーズ傑作長編。

 

レビュー

 

さて、まず何から書こうか、と迷うほど色々と詰め込まれているのがこの作品の特徴だ。

一つ断言できるのは、おそらくここ十数年のミステリの中でも指折りの傑作の一つであることだろう。

僕が読んだミステリの中でもこれに並ぶのは京極夏彦の『絡新婦の理』か有栖川有栖の『双頭の悪魔』くらいではないかと思う。実績としては本格ミステリ大賞でその有栖川有栖の『女王国の城』に大賞を譲り次点に収まっているのだが、『女王国の城』は確かに傑作だがシリーズとしての強みが大きく働いていたことを考えると、同じシリーズ物(刀城言耶シリーズ)とはいえ前作の知識を全く必要としない異質の今作は単独作品として捉えるべきだと思う(ちなみに僕は他の刀城言耶シリーズは未読だが完全に不都合なく楽しめている)し、そう考えればこの『首無の如き祟るもの』は大賞を凌駕している。

上記のあらすじでは横溝的な舞台であることは解るがあまりに情報不足なので、簡単にあらすじを書いておきたい。

この小説はメタ視点を大いに利用した構造になっている。まず最初の『編集の記』も作品の一部であることに留意して読み進めるのがいいだろう。個人的には目次の後に挿入して欲しかったのだが、まあその辺りはあまり深く語ってもしょうがないのでスルーで。
さてこの小説がメタ的というのは、まず媛之森妙元という作家の書いた小説の原稿の序文から始まるからだ。つまり作中作として物語が進行することが説明される。

この説明としての序文は、媛首村という村で実際に起きた二つの未解決事件を小説として書くことで読者に謎を解いてもらいたいという体で配置された章で、そのためにまず高屋敷元巡査という媛之森妙元(本名 高屋敷妙子)の亡くなった夫の視点と、事件に内側から関わることとなる斧高少年の視点で交互に書かれているという説明がなされている。

そこから二つの事件を時間軸順に二つの視点で描かれた小説として語り、その謎の解答を持ってクライマックスを迎えるという構造になっている。
まあこの構造には非常に多くの伏線が仕込まれていて、単純に作中作とその解答でその全てが構成されているとはとても言えないのが面白いところであり、これは実際に読んでみてほしいところだ。

 

少々ネタバレ、内容に触れています↓

内容としては、簡単に述べれば、奥多摩にある媛首村の首切り連続殺人事件が未解決に終わった経緯と、その真相についてのミステリ史上に残るレベルと思われる怒涛のどんでん返しの連続ということになるだろう。

さて、その媛首村にはかつて首を斬られて死んだ女の怨霊である淡首様の伝説が語られ続けていた。そして謎の怪異である首無しもそのホラー的雰囲気に欠かせない存在だ。舞台になるのは淡首様に祟られているという奥多摩の村の大地主「秘守家」だ。秘守家には子供が十三歳になると行う「十三夜参り」という儀式があり、その十三夜参りの夜に第一の事件が起きる。本家跡取り長寿郎の後に儀式に向かった双子の妹である妃女子が井戸で変死したのだ。そして従者の斧高は謎の首無し女を目撃する。
更に十年後に第二の事件が起きる。成人した跡取りの長寿郎は、集められた三人の花嫁候補から一人の花嫁を選ぶ「婚舎の集い」を行うこととなる。そんな中、首無し死体が発見され、事件は秘守家の存亡も関わる混乱に陥ることになる。そして更に首無し死体がされていき……

ネタバレ終わり↑


と、まああらすじはこんなところ。
ネタバレを避けようとするとここらが限界だ。正直この小説は表表紙を開いてから物語が終わるまで油断のできない伏線の塊のような小説だ。
作中作が巧妙に構造上・物語上の二転三転する驚愕の展開に寄与していて、素晴らしいテクニックの美を感じさせるところだ。

作中には4重の密室や首無し死体の謎といったもの以外にも、大量の謎が撒かれている。
終盤ではそれらの謎が21個にまとめられ箇条書きになっているので、比較的理解しやすくなっている。そして驚くべきなのはその21の謎はたったひとつの「気づき」によって同時に、一挙に氷解するよう作られている。

たった一つ、大胆に描かれているたった一つの事実に気がつくだけで20の謎が一気に解けるなど、僕は他の小説で見たことがない。そのカタルシスの凄まじさはあまりに鮮やかだ。

そしてそれらの謎の解明はどんでん返しとはまた別に行われる。その謎の解明で驚いている場合ではなく、更に驚きの展開が待っているわけだ。
この作品が独立した単体の小説であることは先に述べたが、それでもやはり「刀城言耶」シリーズとして数えられている以上、やはり「刀城言耶」の活躍については期待していいだろう。

個人的には作中で行われる「首の無い屍体の分類」も面白かった。有栖川有栖の『孤島パズル』など、「密室事件講義」などは幾つか前例があるが「首無し死体」に関する講義・論議ともいえる章があるのは興味深い。

終始ホラーとミステリが巧妙に融合させられており、その謎と解明にいたるトリック・サプライズ・カタルシスの壮絶な巧妙さ、秀逸さは、並の傑作ではあり得ないものだと思うので是非とも機会があれば読んでみて欲しい作品の一つだ。

 

この下ではネタバレ有りで解説をしていきたいと思う。

首無の如き祟るもの (講談社文庫)

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厭魅の如き憑くもの (講談社文庫)

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凶鳥の如き忌むもの (講談社文庫)

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山魔の如き嗤うもの (講談社文庫)

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 ネタバレ

 

 さて、ここからはネタバレ有りでレビューしたい。実は一つ一つ解説していると十数万文字以上は間違いなく書くことになってしまうので申し訳ないのだけれど、今回のストーリーと謎の解説は非常に詳細まで記述されているこちらのWikiを参照していただけたらと思います。 

 

首無の如き祟るもの/三津田信三 - 東北大学推理小説研究会wiki

 

こちらで確認していただければおよそストーリーは追えるはず。僕もレビューを書くまでに半年以上時間を空けてしまったので、こちらの記事には非常に助けてもらいました。極めて正確に書かれています。

さて、主要なトリックについて少々取り上げておきたい。


まず21にも渡る謎の殆どは、「長寿郎と妃女子の性別が逆であったという事実」に気づくことで氷解してしまうのが非常に巧妙で鮮やかなトリックだ。

十三夜参りでは、現場は建物、斧高の監視、玉砂利の音の三重の密室に加え、外部犯を考慮すると警官の監視があるため、四重の密室が構築されていたが、これも紘弐が長寿郎(男)を殺したことに長寿郎(女)が気付き、長寿郎として再び行うことで突破できる。

婚舎の集いでは、多重の死体入れ替えトリックがなされていたのだが、これの凄いところは作中にもある「首の無い屍体の分類」で真っ先に否定された最もシンプルなありがちで陳腐とも言える加害者と被害者の入れ替えトリックが行われており、それを誘導しているのが江川蘭子であるということだろう。
古里毬子が事故で(ここがややご都合主義であるが)長寿郎(女)を殺す。
長寿郎が実は女であることは、秘守家の一部の人間しか知らず心理的に明かされる心配がないと見込まれるので、それ巧みに利用し、長寿郎(女)の首を切断して古里毬子(自身)が殺害されたとしたわけである。
そして後からやってきた江川蘭子(男だが女の名前を使っていた。これも少々偶然性が強いか)を殺害し、古里毬子は江川蘭子になりすまして堂々と舞台に登場する。
そして余った江川蘭子(本物)の死体は長寿郎(男)として扱われる
事件解決後、作中作の筆者である高ノ森妙元によって事件が小説化され、真相が解明される。面白いのはここまでの徹底した入れ替えトリックがもう一度最後に行われることだがこれは後述する。
加害者と被害者の入れ替わりトリックについて非常に秀逸なのは本来あり得ない死体が全裸にされるという状況が、犯人によって嘘の証言により死体を古里毬子のものであるとするために、身体的特徴を覚えなければならなかったという必然性で説明される点か。これは逆に言えば全裸にしてもこのトリックが成立しなければならないが、そこは見事に状況として成立している。

それについては、長寿郎と妃女子の性別が入れ替えられたことと、それが妃女子の死後隠蔽されたことを前提にしているが、その本来不自然な仮定は、秘守家の呪い染みた伝統と、跡継ぎとなる男子を守るための風習によって民族学的に納得の行く状況が用意されていて、これもまた非常に鮮やかな論理が構築されている。そしてなんといっても序文で高ノ森妙元が斧高について「ある性癖」を持っていると記述していることが大胆でありながら強力なミスディレクションを生じさせている。

さて古里毬子は終盤で、今度は高ノ森妙元を殺害してなりすましていることを「刀城言耶」に看破されている。これが犯人の最後の入れ替えトリックであるが、それを看破するに至る論理の持って行き方は秀逸。原稿が発表される時期と読者の解答を待つ休みの回から、各原稿の執筆時記を特定し、更に罠として「刀城言耶」が訪れた日のことを記す時間を与えるために一度不自然に帰ったりもしている。
具体的には薩摩芋を植える為に耕した畑が実際に植えるべきである時期と相違していたことが入れ替わりの根拠で、更に実際に耕されている庭が何のために耕されたのを指摘するために一度帰っている。それは不自然な時間の経過を浮き彫りにして、庭に穴を掘ったことを指摘する罠であるから。

更に凄いのはこの後の展開だろう。
僕も自分で言うのもアレだけれど、趣味が悪いことにネタバレ無しの記事で刀城言耶のことを「刀城言耶」と括弧で括っている。これはネタバレありのところでも同じだ。
なぜなら事件を解決する探偵役として最後に登場する刀城言耶だが、実は刀城言耶ではないことが示唆されている。
訪ねてきた「刀城言耶」は自身のことを名乗っていないし、怪奇譚について異常なほど関心をもつことが作中で唯一本物の刀城言耶が登場した際に情報として提示されているのに真犯人である古里毬子の怪奇譚についての話題には食いついていない。
そのことについて疑問に思った頃にはもう遅く、そして古里毬子は訪ねてきた人物について最後にこのようなことを語る。
「もしかしたらこの人物は斧高かもしれない、だが斧高なら面影があるはず。だが訪ねてきた人物の顔が何故か思い出せない。顔どころか男であったかも分からない。この人物は一体何なのか」
実際の文章ではないが以上のような内容のことを独白して終わるのだ。これはかつて斧高の一家を訪ね「斧高の母の心中事件」の発端になったかのように思われる、男とも女とも言えるような「何か」の存在を匂わせる。
ここがこの小説が最後のページまでホラーかミステリかわからないと称されている所以だろう。正確には最後の最後でわからなくなるのだが。
つまり「刀城言耶」はミステリ的には面影が感じられないのが疑問だが斧高である可能性が高いが、ホラー的にはあるいは「首無」「怪異」とも言える存在なのではないか、とも感じさせる終わり方になる。この作品最後の「入れ替わり」だ。
これによって、作中の入れ替わりはほぼ完成する。

長寿郎(女)と妃女子(男)
古里毬子と長寿郎(女)
古里毬子と江川蘭子
古里毬子と高ノ森妙元
刀城言耶と斧高OR首無

という5回にも渡る入れ替えがなされているのが非常に際立つ試みだ。
もっと言えば作中作の使用によりメタフィクションが成立しており、現実と虚構の読者にとっての感覚的な入れ替え・混濁も行われている。

最後の新聞記事では、真犯人もまた殺害されたことが示されており、また雑誌の目次が記載されていることの意味を考えると、幾守寿多郎という作家がおそらく斧高であることは推測される。これが何を意味するかはやや読者に任されているところではあるが。

最後に、最も興味深いのは「編者の記」だろう。
ここには「高ノ森妙元の原稿」と「その遺稿による加筆」を編集したものであり、また「その一部は作中の江川蘭子による」とも書かれている。既読者からすると、最初にここまで暗示されていたのかと驚くところだろう。これはつまり高ノ森妙元の小説の一部が真犯人である古里毬子が江川蘭子として書いたことを暗示している。憎い技巧なのは「作中の」という一見要らない接頭語を江川蘭子の名前に関しているところだろう。文字通り、作中に江川蘭子として登場する人物は本物ではないので「作中の江川蘭子」とは言い得て妙である。
そして最後に「編者は何一つとして貢献していないことを明記しておきたい」とまで書いている。当たり前だ、編集したのは本物の刀城言耶だが、作品として事の顛末が文章化されることには「刀城言耶」は貢献しているが刀城言耶は途中での僅かな登場以外では一切関与していない。
そう考えると目次よりも前にこの編者の記があるのも頷ける点ではあるかもしれない。
メタフィクショナルな作品としての効力はこの辺りでも発揮されているだろう。

この辺りに関しては

 

『首無の如き祟るもの』(三津田信三/講談社文庫) - 三軒茶屋 別館

 

という書評サイトさんで非常に面白い解釈があります。

作中で「首」は「かみ」とも読まれるのだが、本作のテーマである首無しが「かみなし」を読むとしたら、メタフィクション的な現実と虚構の混濁は小説における「神」である「作者」の不在を指すのではないかという指摘です。
これはかなり有力な説として支持できると思います。

遊び心で僕なりに付け加えるならば、正体不明の化物・怪異として登場する「首無」が「神無」という存在であったのなら、最後の訪問者「刀城言耶」が斧高でなく人外のものだった時どのような意味を成すのか少々妄想が膨らむところではあります。

と、これは少々解釈に遊びが入りすぎかもしれない。
まあ一つ言えるのは謎と解明、ホラーとミステリ、虚構と現実、このバランスの良さはそうあるものではないだろう。傑作として疑いようもない。

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