伊藤計劃/円城塔 『屍者の帝国』 レビュー/後半でネタバレ
目次
屍者の帝国
屍者復活の技術が全欧に普及した十九世紀末、医学生ワトソンは大英帝国の諜報員となり、アフガニスタンに潜入。その奥地で彼を待ち受けていた屍者の国の王カラマーゾフより渾身の依頼を受け、「ヴィクターの手記」と最初の屍者ザ・ワンを追い求めて世界を駆ける―伊藤計劃の未完の絶筆を円城塔が完成させた奇蹟の超大作。
レビュー
さてようやくこの小説のレビューをすることができる。
先日劇場アニメを観に行ってきて、ちょっと遅れて原作の読了もした。しかしまあ読みにくい作品だった……(笑)
伊藤計劃という人は、どうもシンプルな作風にその本領があったようで、そう考えると『虐殺器官』と『ハーモニー』は実に読みやすかったなと。
ただこの『屍者の帝国』がつまらない小説であるとは全く思わない。
テーマは伊藤計劃単体の全2作より重厚で、世界観は非常に複雑で凝っている。
この作品は伊藤計劃の長編第4作として刊行される予定だったが2009年の伊藤夭折により幻と消えた。
それを盟友円城塔が、伊藤のプロットと「試し書き」の冒頭約30枚を引き継いで完結させた小説だ。実はこの構図は、この小説とその劇場アニメ化作品を評価する上で非常に重要なファクターになる。
いやなる場合もある……というか、そういうのを気にする人にはなる。
作品の評価を作品外の事情に左右されてするのはどうなのかという部分もないわけではないのであまりはっきりとは言えないが、実質的にこの作品は円城塔の作品のようなものなので、彼がそこまで計算していないわけがないようには思う。
まあ計算というと聞こえが悪いが、想いを重ねたとでも言っておこう。
円城塔のイメージはとにかく難しい単語も無いのに何故か読むのに時間が掛かるっていうイメージなんだけど、多分僕と文章のリズムが合わないだけで、芥川賞作家だし文章はうまいし普通の人はそれなりにテンポよく読めるんじゃないだろうか。
そんな円城塔が伊藤計劃のプロローグを引き継いだのだけれど、これが思いの外違和感のない接続だった。
物語としては実在の人物や実在の物語の登場人物か登場するパスティーシュ小説の形を取っていてそれが非常に面白い。
例えば主人公ワトソンは言わずと知れたホームズの相棒。フレデリック・バーナビーはエラリー・クイーンから来てるし、ハダリー・リリスも非常にネーミングが秀逸。
Mと呼ばれる人が出てくるが、これも最初はモリアーティ教授かと思ったがどうやらマイクロフト・ホームズのようだ。
まあこのようにいろんな作品や実在の人物が登場する。
世界観は大きく二つの要素がある。
一つはスチームパンクの世界観、19世紀の世界を舞台とするSFだ。
そしてもう一つは屍体蘇生の技術が存在し、社会に普及している世界である。
主人公ワトソンは優秀な医学生であり屍者技術者である。彼はヴァンパイアで有名なヴァン・ヘルシング教授に見込まれて大英帝国の諜報機関であるウォルシンガム機関の諜報員になる。
そしてアフガニスタンへ送り込まれることとなるのだが、彼はそこで屍者の王国を築いていると噂のアレクセイ・カラマーゾフを追うこととなる。ちなみにこのアレクセイはフョードル・ドストエフスキーの最後の長編小説『カラマーゾフの兄弟』の登場人物でもある。
そして彼を追う旅の中でワトソンは旅を記録する屍者フライデー、豪快な巨体の相棒バーナビー、謎の美女ハダリーと、まあいろんな人物と出会い仲間になり敵となり時には別れ、謎を追っていく。
そして謎の先にあるヴィクター・フランケンシュタインによる最初の屍者ザ・ワンの影と、「ヴィクターの手記」の存在。
冒険モノとしてもなかなかの出来じゃないかなと思う。謎を追うミステリとしてもそのストーリーテリングは非常に惹きがある。
そしてSFとしては、SFに内包される哲学的なテーマとともに非常に考えさせる物語だ。あとあまり書評では見かけないけれど、キリスト教や旧約聖書についても非常に下敷きにされている部分が多くストーリーにも大きく関わってくる。宗教というものもテーマの1つだろう。
ネタバレ要素が多すぎて多くは語れないが、第33回日本SF大賞・特別賞、第44回星雲賞日本長編部門受賞に相応しい大作であることは確かだろう。
好みは分かれそうだが、伊藤計劃と円城塔の関係と想いを物語に当て込んでも面白いかもしれない。そういう読み方は必ずしも推奨されないが、今回ばかりはエピローグの解釈において悪くない読み方とも思う。
劇場アニメ版ではその解釈が全面に出ている。特に屍者としてワトソンに付き従うフライデーの設定が原作とは大きく違う。だが、エピローグにおける上記の解釈が劇場アニメではフライデーの設定の改変によって大きく拡大されている。
それを良しとするか否かは好みによるが、アニメによる原作の改変もこういうやり方があるのかと思わせる。
さてそんなアニメ情報をこの下に挟んで、本作のネタバレも書いていきたい。
同じくアニメ化予定の『ハーモニー(<harmony/>)』『虐殺器官』の情報も載せておきます。
伊藤Project ノイタミナ 劇場アニメ化情報
伊藤計劃「虐殺器官」アニメーションカット公開 - YouTube
ネタバレ
まずは僕のツイートを(笑)
屍者の帝国読むのは時間かかるわレビュー書くのも時間かかるわでもう疲労感しか無い
— らきむぼん (@x0raki) 2015年11月3日
作品は良かったのだがここまで時間を消費する作品もないな
— らきむぼん (@x0raki) 2015年11月3日
アニメ版のザ・ワンの行動原理が正直説明不足にも程があるから原作読むのをおすすめするけどね僕は。
— らきむぼん (@x0raki) 2015年11月3日
まあ「アレどういうこと?」「あーあれはこういうことだよ」っていう会話で解決できるので考察サイト観るのもアリかもしれないけど
— らきむぼん (@x0raki) 2015年11月3日
というわけでお応えしよう。
ザ・ワンは100年以上も昔失われた花嫁を手に入れることと、全ての屍者を復活させることが目的だった。
この辺りの、特に前者のフランケンシュタインでの設定を活かしているのにアニメだと言及されないので非常にわかりにくい。
だが原作ではちゃんと説明されるのでやはりアニメと原作の両方を知っておくといいのかもしれない。
ちょっと解りにくいけれど、最大の論点であり、最大の面白みでもあるのが三章ラストのザ・ワンの語りかなと思う。
ヴァン・ヘルシング教授が魂とは人間だけが進化の過程で獲得したとしていたが、ザ・ワンはそれとは相反している。
ザ・ワンは屍者化できるのは人間ではなく、菌株(あるいはX)という存在であるとしている。つまり屍者復活の技術は完成しておらず、バベル以前の言葉によって菌株の一部を活性化することで屍者を動かしているに過ぎないとしている。
これは生者においてもそうであり、生者も菌株の複雑な意志が、魂のようなものが存在しているように思わせているにすぎないという。作中では矛盾と言っていたが、その菌株の複雑性が生者の意識であり、屍者が意識を持たないのは複雑性が失われ、菌株のうち屍者化を受容している拡大派であるもののみが死後に体内に残るからであるとしている。
ザ・ワンはその存在が将来的に人類を滅ぼすから止めたいという表の理由で動く。
だが実際は彼の目的はそれではなく、ネタバレ冒頭に記した理由である。
ワトソンやバーナビー、ハダリーやバトラー、そしてヘルシングはザ・ワンの目論見を半分は阻止した。しかし、ザ・ワンは情報の具現化で花嫁を創りだし姿を消す。
章の最後にヘルシングはザ・ワンの菌株説は間違いだとワトソンに語った、菌株は「言葉」だと語るヘルシング。言葉と意志……このあたりは『虐殺器官』と『ハーモニー』のテーマを押さえているのだろうと思う。憎い演出だ。
ワトソンは結局両者の主張のどちらが正しいのか分からなかった。そしてそれは読者である僕達も同じ。
エピローグは二つある。記録としてのエピローグと、記録者フライデーのエピローグだ。
1つ目のエピローグ。ワトソンはウォルシンガムに残るかどうかの選択のため、休養の期間に入っていた。そこにハダリーがアイリーン・アドラーと名を変えて現れる。ちなみにアイリーン・アドラーはドイルのホームズシリーズに登場する人物。
ワトソンは自分で真実を確かめるため自身の脳にザ・ワンが菌株と呼びヘルシングが言葉としたXを上書きするようアドラーに頼むことになる。
この時の、魂がないと言っていたハダリー(アイリーン・アドラー)の心情の動きは非常に秀逸で、良い場面だった。
2つ目のエピローグ。
これは意識を持ったフライデーの語りだ。
フライデーはワトソンとの3年に満たない旅の記録が具現化し意識を持った。そのことにフライデーは感謝の念を覚えている。
ワトソンはXを上書きされ、以前までのワトソンとは違う人物になっている。他の生者の屍者化とは少々事情が違うこともあり、ワトソンは別のワトソンとして今も大英帝国で活躍しているようだ。それはMの弟である探偵の相棒としてらしい。
この辺りも本当に面白い。M(マイクロフト・ホームズ)の弟、つまりシャーロック・ホームズの相棒ワトソンとして以前とは違う冒険をしているというわけだ。そしてそのワトソンを作ったのはアイリーン・アドラー。
アイリーン・アドラー、ハダリーは全く知らない人物としてすべてを忘れたワトソンと邂逅するのだと思うとなかなか思うところがある。
またフライデーはワトソンを追い求めているらしい。いつか前のワトソンと再び会い感謝を告げるために。
そんな終わり方の本作だが、ここからは深読みしたい人のための解説。これが真相だとは誰も言っていないし、真実はわからないところだ。
それはワトソンとフライデーの関係が伊藤計劃と円城塔の関係に重ねられているのではないかという解釈。
プロローグを書いた伊藤計劃は、そこにフライデーを登場させてはいない。フライデーが登場するのは円城塔にバトンタッチした1章からだ。円城塔と共に現れたのがフライデーとも取れなくはない。
そしてフライデー(円城塔)はワトソン(伊藤計劃)の3年にも満たない物語を記述し続けた。その3年の物語はフライデーにとってかけがえのないもので、3年に満たない伊藤計劃と円城塔の友人関係は円城塔にとってかけがえのないものだった。
これは屍者の物語だ、とプロローグとエピローグで語られるが。その意味をどう取るかは色々考える余地がある。
新しいワトソンの中にある自分が知るワトソンを追い求めるフライデーの姿と、死後作品として広がり続ける伊藤計劃の中にある記憶としての伊藤計劃を追った円城塔の姿を重ねるかどうかは、やはり好みの分かれるところかなと思う。
やりすぎの考察か、美化か、都合のいい解釈か、そう思わないでもないけれど、レビューとしてその可能性の1つでも解説できたら誰かの役に立つかもしれないのでちょっと演出してみました。
僕はどちらでも良いと思うけれど、まあ最初で最後の共作に少しだけ深読みしてみるのも悪くはないかな。
【映画パンフレット】屍者の帝国 監督 牧原亮太郎 声 細谷佳正、村瀬歩、楠大典、三木眞一郎、山下大輝、花澤香菜、大塚明夫、菅生隆之
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書き下ろし日本SFコレクション NOVA+:屍者たちの帝国 (河出文庫)
- 作者: 大森望
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